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【小説19】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜撃沈〜


全話収録(フィクション)⤵️

前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️



19.撃沈

 夫が出張に出かけたのはいつだったのか、仕事に忙殺されている麻子には思い出せない。
以前なら、一枚物のカレンダーに家族の予定を書き込んでいたのに。
4人だけの生活に慣れ、今では3人の子ども達の予定も把握していない。
 子どもと言ってもとっくに大人だから仕方ないわね。
自分の予定だって書かないもの。
せめて父のお骨納めくらいは、スケジュールを合わせたいけれど、どうかな。
どうせ夫も弟家族も来ないだろうな。

 職場に着いてから家庭のことを思い出すことは殆どない。
他に考えることが多過ぎて、思い出すひまがないと言うべきか。
今日は午後から小山様のお宅に行くのだから尚更だ。
 「前田さん、お願いだから上手く断ってね」と今朝も職員達から言われた。
実は担当ケアマネジャーからも「娘様が過大な要求をしたら断って構いませんよ、今までが今までですから。
僕が頑張って他のデイを探します」と言われている。
断れば介護保険法に触れるのだから断れる訳がない。

 出かける前に「大丈夫か?」と管理者に訊かれた。大丈夫じゃない。
管理者が動いてくれれば良いのにと思う。
 言動には気をつけよう。
「否定しない」「責めない」「直接的な助言をしない」これは絶対。
こちらからは「マンパワー不足で申し訳ございません」「ご家族にもご協力をお願いします」と言うだけ。
もしかしてICレコーダーが要る?
まさかね…

 「前田さん、こっちこっち」
担当ケアマネも早めに来ていた。
 「娘様のご希望で小山様の退院が延びたので、今日は同席されません。
サマリーがファックスで届いたんですけれど、立位可、歩行不能、室内も車椅子移動です。
この団地、あちら側にスロープがあるんです」
 こんな所にスロープがあったのか。
しかし何とも幅が狭くて急ではないか。
 「僕の想像なんですけれど、このスロープは車椅子使用を想定されていません。
お元気な方が自転車を押して上がるのにギリギリのスペックです」
あの大柄な小山様を車椅子に載せて、送迎の度にここを昇降せよと言うのか。
 「僕からは介助用の電動車椅子のレンタルを提案しようと思って、福祉用具の業者にも声をかけていますから」

 電動アシスト車椅子を初めて試してみて驚いた。
ケアマネが座っていても麻子の力で難なく昇降介助ができる。
 「楽でしょう、これならデイ以外のお出かけにも使えますよ」
 ご自宅に上がらせていただく前に、スロープで電動アシスト車椅子のデモンストレーションが行われた。
娘様も載ったり押したりを一通り試し、充電容量、雨天時の注意、メンテナンス方法を熱心に訊いていた。
好感触かも知れない。
これを導入して下されば、少なくとも送迎時の職員の負担は軽減できる。

 麻子は小山様の担当者会議の議事録を作成している。
昨日デイに戻ったときには、既に掃除や翌日の準備が始まっていた。
施設長と管理者に口頭で内容を伝えたが、徒労感と疲労でつい議事録を翌日に回してしまった。
 「前田さん、小山様の娘様から宿題を出されました。
僕から前田さんに伝えて、事業所の偉い人とも話し合ってからお返事が欲しいと仰ってます」
小山様の担当ケアマネから電話がかかってきた。
 宿題は3つ。
一、電動車椅子は事業所が準備するべきではないか
二、マンパワー不足は法人の怠慢ではないか
三、母(小山様)が利用しやすいということは他者にとってもメリットではないか
 はぁ〜。ごもっともなんだけど。
お迎えに伺っても「今起きたところ」だの「未だご飯食べさせてない」だの、そちらを先に何とかしてほしい。

 施設長、管理者と相談し、麻子から小山様の娘様に電話で回答を伝えることになった。
勿論、内容についても打ち合わせ済みだ。
 「前田さん、大丈夫だとは思いますけれど、言葉には充分に気をつけて下さいね」
いやいや施設長、こういうときこそ管理者の出番でしょうが。 
 「先日は長居してしまい申し訳ございませんでした。
いただいていた宿題の件ですが、今お時間は宜しいでしょうか…」
途中まで相槌が聞こえていた電話が、返答の途中で突然切られた。
慌てて小山様のお宅にかけても娘様の携帯にかけても呼び出し音がするばかり。
暫く時間をおいてかけると、娘様の携帯は長時間話し中になった。
担当ケアマネに経緯を伝える。
 「そうでしたか。判りました。
きっとこれ以上デイからかけても逆効果でしょう。
何らかの動きがあるまで待ちましょう」
嫌な予感しかしない。

 休みの日、と言っても、整形外科や銀行や買い物に行っている内に終わってしまうのだが…珍しく管理者から電話がかかってきた。
自分は電話に出ないくせにね。
 「本社の管理職対象研修はキャンセルしたから、明日は本社じゃなくてデイに出勤して」
どういうこと?勝手にキャンセル?
前年は父のムンテラと重なって、受けられなかった研修だというのに。
 「小山様の娘様が市に苦情を申し立てたらしい。
明日、市からヒヤリングがあるからデイに居て」
市に苦情?市からヒヤリング…?

 苦情の内容は「デイ生活相談員が利用希望を拒否した」という麻子個人に対するもの。
市はヒヤリングの対象に管理者を指定したので、その内容は知らない。
どうして当事者にヒヤリングしないの。
それなら本社研修にも行けたじゃない。
やっぱりICレコーダーが必要だった。
あの場でiPhoneを操作するのは無理だったから。

 そして麻子に対する施設長と管理者のあの言動。
 「それはウチが100%悪いね。
娘様が拒否されたと思い込んでも仕方がない」
娘様が市にどう仰ったのかは知らない。
「申し訳ございません」と「お願いします」のどこが100%悪いというのか。
 担当ケアマネも市のヒヤリングを受けたらしい。
「小山様のデイ利用を断っても構わない」とケアマネにあるまじき発言を私にしていましたよね。
市に暴露してみましょうか。
「追い詰められて、ヒステリックな発言をしている生活相談員」と更に市から目を付けられるだけだろうか。
 それにしても男達の「行政指導」や「権威」に弱いこと。
これは男性蔑視のセクハラ発言になるのだろうか。
 「私達を守ろうとしてくれたんでしょ」「嫌な思いをさせてごめんね」
職員達からの声だけが麻子の支えだ。
(2,519文字)


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ちゃりれれ【時々ジャイアン】
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