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【小説16】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜表彰〜


全話収録(フィクション)⤵️

前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️



16.表彰

 前田麻子は明日行く予定のケアマネジャー事業所の住所と PC上の地図を見比べては、いかに効率的に営業回りができるかをシミュレーションしていた。
 麻子がデイサービス生活相談員になった当初、前管理者が営業を一手に引き受けていたから、まさか自分が外回りをするとは思ってもみなかった。
 社用車の研修は受けていない。
そもそも自家用車を処分してからはハンドルを握ったこともないのだから、ペーパードライバー教習からやり直さないことには使い物にならない。
 「いいよ、自転車が好きだから。
自分のと違って会社のは電動アシストだから。
小回りもきくし、停める場所にも困らないしね」
負け惜しみにしかならないけれど

 ご利用者が1ヶ月間にデイを利用した実績を算定し月末にプリントアウトする。
これをケアマネに渡し、ケアマネ側のデータと突合後に国民健康保険連合会(通称、国保連)に提出すると、各事業所に報酬が支払われる。
ご利用者には収入に応じてサービス利用料の何割かと、食事代などの実費を請求する。

 麻子がケアマネ事業所に営業に行くときには、前月の利用実績票、月間予定表、献立表、イベント等の案内を書いた手紙を持参する。
 後任への引き継ぎは全部やったと前管理者は言っていたが、どうやら新管理者に営業に行く気はないらしい。
それどころか「何で俺が行かなアカンねん」とまで言う。
仕事なのに「俺」だって、柄が悪いったらありゃしない。
デイから配布する文書類も全て、以前なら管理職が作成していたのに。
麻子の業務は増える一方だ。

 前管理者が外回りに出ている間、前生活相談員はデイに残って自分の業務を行うことができた。
それでも監査では多数の「抜け」が指摘されたのだ。
 翻って麻子の場合はどうだろう。
営業からデイに戻ったら、誰も手を付けていない自分の業務と前任者の残務がお待ちかねだ。
 些かの職務手当が付いたとは言え、これでコスパが見合わない。
ボランティアじゃないんだから。
一応、家庭持ちの主婦なんだから。
でもあの柄の悪い管理者を巻き込むのは骨が折れそうだ。
自転車を漕ぎながらも、頭の中は帰所後の段取りで一杯だ。

 名刺入れの茜色の皮革が手に馴染んできた。
目で見て手で触って人前で取り出して嬉しい気持ちになる物をと、生活相談員になることが決まって直ぐに購入した相棒だ。
 施設入所者とは違い、デイ利用者の増減や入れ替わりは激しい。
それに合わせてケアマネも変わるから、営業先も毎月変わる。
効率の良いルートを考えても、次月には新しいルートを考え直さなくてはならない。
 「あれ?でもそんなに嫌いじゃないかも?
考えて工夫するって楽しいかも?
ケアマネとご利用者のお話をするのって好きかも?
新規の方を紹介してもらえたら達成感があるかも?」
名刺入れと同じように、いつしか麻子も初めての営業に馴染んできたようだ。

 業務に追いかけられるような日々が辛くないと言えば嘘になる。
朝は洗濯と簡単な掃除をしてから出掛けるし、帰宅すると着替える間もなく洗濯物を取り込み夕食の支度をする。
 「家事分担ってどこの国の話なんだろう…」毎日ヘトヘトだ。
働き方改革だ、脱残業だと言われても、慣れない職務に加え前任者の残務が麻子にのしかかる。
 前任の管理者と生活相談員も今の管理者も男性だ。
仕事をしながら、晩ご飯の買い物をどうしようと悩んだことなどないだろう。
 「ああ、妻が欲しい…」

 夫が不在がちで、たとえ自宅に居ても大して家庭に興味を持たないのは、今の麻子にはお誂え向きだ。
反面、仕事に一所懸命になるほど自ら家庭を壊しているような気がしなくもない。
 経済的な自立だけを目標に、嫌だった介護職に足を踏み入れた。
資格取得、異動などステップアップも経験した。
女性就労支援の絹田さんに伝えた「書くか教えるか相談にのる仕事」というのが、想像した形とは違うが叶っていると言えなくもない。
収入を得る手段だと割り切っていたつもりなのに、まさかやりがいを感じるようになるなんて。

 営業を重ねるにつれ、軽口を叩いたり無理をお願いできるケアマネが増えてきた。
垣根がどんどんと低くなり、電話で話すときも旧知のような気軽さだ。
 「なるほど、営業のメリットって、数字だけではないのね」
 新規利用者をデイに獲得するにはいくつもの条件がある。
市町村に届出ている定員を超えていないか、ご自宅が営業エリア内であるか、希望曜日に空きがあるか、既存ご利用者と相性が合うか、デイで入浴するのか、送迎ルートに組み入れられるか、職員でケアできる体調か、看護師が対応できる病状か…
 売り上げを伸ばす為にと闇雲に増やす訳には行かない。
売り上げの為には人数を増やすか、利用時間を延ばすか、介護度の高い人に利用してもらうかだ。
そもそも介護保険により基本利用料が決められており、売り上げはそうそう上がらない。

 「また体験利用のご希望?」「前田さんが営業に行くようになってから凄いじゃない」
タイミングが合ったのだろう。
確かに体験利用の希望が毎月のように引きも切らない。
 「前田さんの人望よ」「そうよ、ケアマネだって仲の良い相談員がいるデイに紹介した方が、後々やりやすいもの」
 しかし体験利用の準備は大変なのだ。
ましてや本利用ともなると契約書•重要事項説明書などの書類一式と連絡ファイルや名札の準備、ケアマネや各サービス担当者とご自宅を訪問してサービス担当者会議、契約、データ入力や食事の手配や請求担当者への書類提出、送迎ルートの組み替え、当日のお席をどうするか…
 贅沢な悩みだとは解っている。
産みの苦しみと言うが、産んでからの方がより一層苦しい。

 「前田さん、休憩が終わったら来てくれる?」と施設長から呼ばれた。
忙し過ぎて、お昼にお弁当を食べられることがない。
2時なら早い方。3時、4時もざらだ。
 「お待たせしました。遅くなってすみません」
 「はい、社長から。
おめでとうございます。
体験利用者が一番多かったんでしょう。
よく頑張ってくれました」
 表彰状だった。
麻子は知らなかったが、法人内に7つあるデイサービスの中でのトップ成績、副賞もあるらしい。
過ぎてみれば、1年間で6回も表彰状をいただいた。
(2,527文字)


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