fromひろしま
数年ぶりに図書館へ行った。
部屋の引き出しの、奥の奥へ仕舞い込んでいた図書カードをひっぱり出してきた。
きっかけは、仕事帰りの電車の中、読書をしている中学時代の友人の姿を見かけたことだった。
電車内の人の9割がスマホを見ている中でひとり、
立ちながら読書をする彼女はやけに大人びて見えて、純粋にかっこいい、とさえ思った。
「数年後には30歳になるし、話題の本の一冊や二冊、読んどこうかなあ。」
そんな浅はかな思いで、6〜7年ぶりに図書館へ向かったのだった。
とはいっても、最近は誰の、何という本が話題なのかすら分からない。
手始めに読みやすそうなタイトルのものから読んでみるか、と本棚と本棚の間を彷徨っていた時だった。
"写真集"
と題された、小さな本棚を見つけた。
もはや読書でもないけれど、世の中にはどんな写真集があるのかと気になって覗いてみた。
そこで一際高い背表紙の、"fromひろしま"という本を見つけた。
思わずドキッとした。
偏見かもしれないけれど、こういう本でいう"ひろしま"は、しばしば
"被爆地としてのひろしま"を指すことが多いからだ。
そもそも広島という土地は、母方の祖母が今でも住んでいて幼少期から身近なところだった。
毎年お盆になるといとこ家族と祖母の家でスイカ割りをしたり、カブトムシを捕まえたり、夏休みの課題をやったりした。
そしてこの季節になると決まって再放送されていた"はだしのゲン"のアニメを見て、軽くトラウマになったことも思い出す。。。
とにかく、週末の、意外と混雑している図書館で唯一空いていた席を見つけると、持っていたカバンも下ろさずに夢中で表紙をめくっていた。
まず表紙の、可愛らしい小花柄の青いワンピースが目に入った。
ここ最近でも、街中で似たような洋服を着ている人を見るくらい今風なデザインのそれは、
腰のあたりの布がちぎれ飛んでいて、
周りには血のような赤黒い滲みがにじんでいる。
ページをめくる。
学年や名前の書かれたセーラー服、
小さい子どものものと思われるブラウス、
防空ずきん、
レンズがヒビだらけになっている眼鏡、
半分欠けた小さな入れ歯、
などなど、その日、その時まで"当たり前の今日"を生きていた人たちの生活がありありと想像されて胸が苦しくなった。
巻末にはこの写真集を作られた写真家の石内都さんの文章が載っていた。
"愛らしい飾りボタンがひとつ付いた、夏の白いニットの美しいシルエットをみながら、この服の持ち主の少女は、今でも行方不明であるということを知る。"
ここに載せられている洋服たちの持ち主は、皆あの日に亡くなられている。
今も行方不明の方がいるというのは、
亡くなったことすら、はっきりと分からない状態で遺族はそれをなんとなく察するしかないということだ。
その人の想いも、遺族のその人に対する想いも宙に浮いて、行き場をなくしてしまって。。。
想像しただけで心臓のあたりがギュっとなった。
私は終戦から数十年後に生まれて戦争どころかバブル期も知らない。
小・中学生のころに「平和学習」と題して
さまざまな映画を見たり、本を読んだりしたけれどそれはどこか現実のものではない感じがして。。。
ただこの写真集を見て、初めて、ちゃんと戦争を認識できた気がした。
本当のことを語れる方たちがどんどん少なくなっていく中で私たちにできるのは過去に想いを馳せることしかないけれど、
それでも戦争で亡くなった方たちの宙に浮いた想いを、なんとなくでも感じられたらいいな。
数年ぶりに行った図書館での、
運命的な出会いだった。
また、図書館行こう。
その前に、数年前に友人に借りてずっと返せてない伊坂幸太郎さんの本を読もう。。。