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5・6月に読んだ本

アイス珈琲のおいしい季節ですね、と書こうとしたけど、4月のときもおなじことを書いた気がする。最近はあまりにあついので、朝ごはんを兼ねてセブンのスムージーを飲みながら登校しています。クーラーとスムージーでおなかを壊すまでがセット。

はじめに

今回は5・6月に読んだ本の記録と、いま読みかけの本たちについて書きます。
5月はなかなか生活のリズムが掴めず本を読む時間を作れなかったりもしましたが、いまだ!と思って逆に読めた本とかもあり、不思議な月になりました。6月も引き続き試験やバイトで忙しかったので、喫茶店に駆け込んで時間の限り貪り読む、みたいな生活になりました。

前回も書きましたが、感想を言葉にするのはほんとうにむずかしくて、しかも読んだことのない人にネタバレせずにでも面白さをわかってもらえるように書くというのはすごく技術のいることなので、ここでは少し肩の力を抜いて、本を紹介しつつわたしの気持ちを書き留めてみる感じでやっています。

ちなみに、4月に読んだ本について書いたものはこちら。

もうすぐ夏休みの人も多いと思うので、いいなと思う本があればぜひ読んで感想シェアしてくれるとうれしいです。


①『わたしが誰かわからない』 中村祐子

今回読んだなかでいちばん好きな本でもあり、わたしの人生の本棚のお気に入りにも入った一冊です。
図書館で借りて読んで、もちろん読んだ瞬間も好きだなと思ったのですが、そのあとからじわじわとそばにいたい気持ちが止まらなくなって、サイン入りのものを買いに行きました。

自分の記憶をたぐり寄せながら、ケア的主体としての自分を探す旅に出る。
あのときのあれはどういうことだったんだろうとか、自分のしてきたことにどんな意味があったんだろうとか、そういうことをぽつぽつと考えていくことで、ヤングケアラーと呼ばれることへの違和感や自分のしてきたことの曖昧さが言葉になっていく。

中村さんの祈るような気持ち、あるいはその世界の受け取り方みたいなものが、自分にすごく馴染む感じがあって、今もわたしのこころの隙間にぴたりと入り込んで棲みついている一冊です。


②『ヤングケアラー 介護する子どもたち』 毎日新聞取材班

前回に引き続きヤングケアラーなのでさっくりと。
卒論でヤングケアラーについて扱うことに決めて、いまもいろんなことを調べたり考えたりしていますが、その土台としてかなり役に立ったと感じる一冊です。

研究者の目線と記者の目線ってけっこう違う。社会とケアラーの狭間にいる記者こその目線で繋げられていく情報もあって、そこから気づかされることも多くありました。
「子ども」という、ことばを持たない存在をどのように社会に知らせるのか、彼らの語りたいこと・語らないことをどう扱えばいいのか。わたし個人としても最近これをすごくよく考えています。


③『きみの身体は何者か』 伊藤亜紗

「ことばを話す」とき、わたしたちはなにをしているのか。わたしたちの身体になにが起きているのか。
自分にいちばん近いものでありながら、自分の思い通りにならない身体という存在について、子どもでも読みやすい、やわらかい言葉で読み解いていく一冊です。14歳からの身体論。

自分の身体感覚とか知覚世界とかを説明することに最近関心があって、「どう感じているか」「どうできないか」といったことをどのように言葉にすることができるんだろう、とよく考えています。

この本は、吃音が出るときに身体になにが起きているかを説明することを通して、身体に対するわたしたちの一元的な見方を解きほぐしてくれるような本なのですが、
その人にとって「当たり前」な身体感覚をどのように記述するのか、あるいはもっとその手前でどうそれに気づくのか、といった視点で読むのもおもしろかったです。

わたしの苦手なことがどうして苦手なのか、わたしのできないことはなぜできないのか、そういうことを最近言葉にして誰かに伝えようとする試みも始めました(次のnoteの記事になる予定)。

自分(の身体)ですら全然思い通りにならない存在だ、と思うと、やっぱり他人なんてほんとうに遠くて分かるわけないよねーと思ってしまったりもする。


④『それでも人生にイエスと言う』/⑤『夜と霧』 ヴィクトール・フランクル

『それでも人生にイエスと言う』は、お散歩しているときに神保町の古本屋さんで見つけて、いつかの自分のための贈り物として買ったものでした。
卒論でヤングケアラーを扱うこととか、授業で反出生主義について学んでいることとか、ぜんぶ自分で選んだことなんだけど、気持ちが苦しくなってしまうことはどうしてもあって。それが限界になったら読もうと思っていて、ずっとそのタイミングを探していました。

この本は、ナチスの強制収容所から解放されてから間もない時期にフランクルが市民大学で講演した内容を記録したもので、「人生に意味はあるのか?」というわたしたちの問いにひとつの答えを与えてくれる一冊です。
読んですぐ、読めてよかったなあという気持ちに満たされたことをよく覚えています。

わたし自身がフランクルの意見に納得できるかどうかではなく、それだけの体験があってもまだ彼が「それでも人生にイエスと言う」ことが、すごく大きな希望であるというか、力になるなあと思います。

読後、せっかくなので代表作の『夜と霧』もあわせて読みました。こちらも良かったです。わたしのおすすめは『それでも人生にイエスと言う』のほうかも。


⑥『「正義」は決められるのか?』 トーマス・カスカート

トロッコ問題に対して、哲学・倫理学・判例・ジャーナリズムなど、さまざまな視点を紹介しながら「正義」というものについて考えてみようとする一冊。
この本自体にゴールや答えはないんだけど、これを足がかりにして「正義」の多様性にめまいを感じたり、さまざまな見方を比較したりできるところがおもしろいです。

トロッコ問題は単なる思考実験であって意味がない、という大学の先生は多いですが(わたし調べ)、わたし個人としては、この問題への自分の態度から自分の思考の傾向や好みみたいなものを学べたらいいんじゃないかなーと思っていたりします。そこから見つかることとか、反省とかが始まるんじゃないのかなあ。

ちなみに、カバーを外したなかの表紙裏表紙のデザインがとってもかわいいところ(トロッコ問題が起きている現場のイラストなので状況はかわいくない)がわたしのお気に入りポイントです。わたしは神保町のどこかで古本で買いました。


⑦『娘が母を殺すには?』 三宅香帆

フランス語検定の数日前に本屋で見かけて、試験が終わったら絶対にいちばんに読もうと決めていた本。試験終わりに上島珈琲に駆け込んで爆速で読みました。

母の呪いと向き合おうとしてきた小説・映画・漫画などを取り上げ分析し、母娘問題の解を探っていく内容です。
「ケアする」ということと、誰かの期待や想いに応えることはどれくらいちがうんだろう、という問いがしばらく頭にあって、それについて考えてみようと思ってこの本を買いました。

母親だけに限らず、わたしは誰かからかけられたほんとうに多くの呪いに気づけないまま、大人に近づいてきてしまったと思います。
優秀であること、気を遣えること、賢くあること、強くあること。そういう、誰かから期待される「わたし」というものをいつでも演じようとしてきたし、たぶん実際に演じられてきてしまった。
でもそれは、誰かがわたしを「そうするように強制した」わけではなく、もちろんわたし自身が望んだことでもなく、ただわたしが誰かを「ケア」しようとしてきただけなんじゃないか、と最近は思っていて、
家族というものをこの意味での「ケア」から新しく考えることができるんじゃないかと思っています。

同意できないところや共感できないところも含めて、自分の考えを次の段階へと進ませてくれる、気づきの多い一冊でした。
親(特に母娘)関係に悩んでいる人に一度読んで欲しい本です。


⑧『あらゆることはいま起こる』 柴崎友香

これも今回読んだなかでかなり好きで、わたしの人生の本棚のお気に入りになりました。
医学書院の「ケアをひらく」シリーズがもともと好きで、今回紹介した『わたしが誰かわからない』や國分功一郎先生の『中動態の世界』などがおなじシリーズに入っています。

ADHDの著者の身体のなかで、どのように時間が流れていて、どのように世界が現れているのか。自分の身体は自分にしか体験できないから、それがおかしいとか普通だとかそういうことは一旦括弧に入れて置いておいて、何が起こっているのか書いてみる。そんな内容になっています。

自分の身体感覚を説明すること、自分のなかに立ち現れる世界を言葉にすること。それはすごく難しくて、わかってもらえないこともすごく多いんだけど、でもだからこそ、自分にそれがなんとなく伝わったときにきらきらした気持ちになれるんじゃないかなと思ったりします。
わたし自身もいつかそういうことを言葉にしたいと思っているし、いままで出会ったひとのなかでわたしがそれを分かろうとしなかった・できなかったことがあってそれを悔いている気持ちもあるし、そういう全部を含めて胸がいっぱいになる本でした。

何度でも読み返したいし、自分に近しいひとにたくさんおすすめしたい一冊になりました。みなさんもぜひ。


おわりに

最近読み切った8冊の、感想にもならないような取り留めのない気持ちを書いてみました。

わたしの好きとかお気に入りの気持ちの裏には、今まで考えてきたこととか経験してきたこととかいろんなことが連なっていて、それをすべて人に説明することはできないし、わたし自身でも気づいていないことがきっとたくさんあるんだと思う。

そういうものを思い出したり掘り起こしたり、その過程でしあわせになったりちょっぴり傷ついたり、わたしにとって本を読むっていうのはそういうことかなと思いました。


【おまけ】 いま読みかけの本たち

最後に、今回も読書案内の代わりにいま読みかけの本をいくつか貼っておきます。今回溜めちゃったので来月(今月)の分はちゃんと1ヶ月ぶんで書きたいな、がんばります。


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