ヤバい人には速攻で「ごめんなさい」をぶっ放してきたボクの‘’誇らしき‘’処世術を伝授しようか
一昨日の木曜日。
営業訪問先の近くにあったデパートの最上階で、昼食をとることにした。
デパートの回転扉から入って左手奥。
4つ設置されたエレベーターステーションに目をやるとランプが点滅しており、どうやら今、到着したばかりの箱が1つある。
まさに‘’オープンtheドア‘’の状態で
ボクを出迎えてくれていた。
「お、ラッキー♪」
急いでボクはそのエレベーターに飛び乗った。
箱に入ってみると
メガネをかけた男子高校生と、
白髪のサラリーマン風のオッサンが
両奥隅の左右に分かれてスマホ片手に静かに佇んでいた。
無人だと思って入ったボクは先客に意表をつかれ、一瞬どこに陣取ろうかと迷ってしまったが、さすがに奥隅が好きだからといってその二人の間に挟まれて立つのは良くない。
アホなボクでも、そのくらいの常識はある。
もしかしたら、間に挟まれる形で立った瞬間に、その密着を嫌ったどちらか一方が、無言でサーッと逃げるかもしれない。
そんな無言の意思表示をされたまま、密閉空間で14 階まで一緒に旅をするのはイヤだ。
ボクは、ボタン操作盤前に立つことにした。
こうして完成した
‘’中年オレ‘’、‘’メガネ高校生‘’、‘’白髪オッサン‘’の鉄壁のトライアングルフォーメーション。
旅は完璧な形で出発した
……かに思えた。
しかしボクら3人を乗せた箱は、
上昇したかと思うと急に減速を始め、
2階で停車。
そして、ゆっくりとドアが開いた。
ボタン操作前にいたボクは一瞬視界に入った光景を前に、目が点になってしまった。
開いたドアの向こう側には、不良風のイカつい男性が仁王立ちしているではないか。
でかい。
とてつもなくでかい怪物だ。
怪物は極めてテンプレ的なそれだった。異次元の佇まい。常軌を逸した威圧感。季節に合わない浅黒い肌に、とにかく筋肉がムキムキに異常に発達した筋肉自慢。
シンプルな白いシャツの首元からはタトゥーが見え隠れし、大きな輪の連なった金のチェーンネックレスをつけている。
そして、柑橘系の香水の匂いをプンプンさせながら眉間にしわ寄せてゆっくりとエレベータの中ほどまで歩みを進め、
デーンと静止した。
鉄壁だったはずのトライアングルフォーメーションは一瞬にしてもろくも崩れた。
ひょろいモヤシのボクは、左後方に圧倒的な威圧感を受けながら
振り返らずに冷静を装って怪物に尋ねた。
「な、な、なんかいでしょうか」
はっきり言って怖い。
向けた目線によっては、
「あん?ガンとばしたか?」
って言ってブン殴ってくるかもしれない。
相手がどんなに社会的地位が低かろうと、
ブン殴られた方は
「死ぬほど痛い」
モヤシは吹っ飛び
顔面を殴られた痛みに恐れ震え上がり、
エレベータ内をのたうち回ることになるだろう。
殴られれば痛いし、怪我もする。
刺されたり撃たれたりすれば死んでしまう。
スルーだ、スルー。
とにかく息をヒソめよう。
お前らにナニかあったら非常ボタンをオレが連打してやる。
エレベータ古参の三人衆。
話した事もない3人の男の中に、突如として確かな “友情” が芽生えた。我々は互いを同志と認識し、心の中で手を取り合った。
ボクたちは一人じゃない。
三本の矢。
頂上に到着するまでの間、さっきまでの無関心はまるでウソのようだった。
2人がいることが、とても心強く思えた。
………
「長い物には巻かれろ」
は僕の人生を貫く哲学である。
これまでの学生時代を振り返ってみると幾度となくヤンキーに絡まれてきたが、謝って逃げるを繰り返した結果、一度も致命傷を負ったことはない。
ヤバイ人にはさっさと謝ればいい。
そう。
これがボクが青春時代に身につけた「処世術」である。
「ある日のくつばこで」
ふと小学校1年生なる長女のランドセルに
「道徳の本」
が入っているのが目に入った。
はて。
いまの時代の「道徳」は、
どんな内容だろうか。
急に身体の奥底からふつふつと興味が湧いてきて、気がつけば次の瞬間、手にとってパラパラとめくっていた。
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「ある日のくつばこで」
<要約>
まり子ちゃんと、としお君は、体育の時間前に、帽子を教室に忘れたことに気づき取りにいく最中、
靴箱付近で、かずみちゃんが立っているのを見かけました。
「あれ、かずみちゃんだ」
近づいて声をかけようとしたところ、
かずみちゃんは、誰にも見られていないと思ったのか、くみこちゃんの靴をコッソリと隠したのです。
二人に隠した現場を見られていたことに気づいたかずみちゃんは慌てて言いました。
「さっき、くみ子ちゃんとけんかしたの。隠したこと誰にも言わないでね。」
しかしモヤモヤが消えなかったとしお君は、
かずみちゃんがいなくなった後、
「あ、そうだ。元通りにしてあげよう。」と、こっそりと、くみ子ちゃんのくつを元に戻しました。
まり子ちゃんは、それでも心がくもったままでした。
そのとき、お母さんがいつも言っている言葉を思い出したのです。
「正しいことができる人が、一番ゆうきがある人なのよ。」
「そうか。ゆうきを出そう。」
まり子ちゃんは、かずみちゃんと向き合って話そうと決心すると、心が晴れてきました。
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ああ、今も昔も変わってない。
これが一年生の道徳だ。
靴をあとで元の場所にこっそりと戻した、としお君。
靴が元に戻されても、モヤモヤして勇気をだしてかずみちゃんと話し合うことにしたまり子ちゃん。
この2人の行動について、あなたならどうしますか?どう思いますか?
とみんなで考えるものであろう。
おそらく色々な意見はありながらも、きっと‘’処世術‘’で終わらせたとしお君よりも、まりこちゃんの行動が模範とされ
「間違っていることを注意しあう勇気や大切さ」
を説かれるのだろうなぁ、と思う。
たしかに。
聞き分けが良く同じ一年生のかずみちゃんに対してならそれでいいかもしれない。
でも、それは普遍的な正解ではない。
世の中にはどうやっても立ち向かえないものがある。
ムキムキに突然ブン殴られたら
「死ぬほど痛い」のだ。
世の中にはどう頑張っても分かり合えないことだってある。
「無敵の人」に刺激を与えると、刺されたり撃たれたりするかもしれないのだ。
そう、ボクたちはこんなリアルな世界を生きているのだ。
喫煙を注意した高校生が暴行を受けたあの事件についてナニを思うか
去る1月23日、JR宇都宮線の電車内で
喫煙を注意した高校生が相手から暴行を受けて顔を骨折する大けがをした痛ましい事件が発生した。
15分にわたって暴行を受けたが、
助けに入った乗客はいなかったという。
こういうときに、
どうするのが「正しい」のだろうか?
この事件に対して、
世間では2つの「正しさ」がせめぎあった。
一つめは「ちゃんと注意した高校生は立派。誰かがそうしないと、ヤリたい放題の社会になってしまう」「助けない大人はおかしい」という「道徳的な正しさ」。
二つめは「こういう『無敵の人』に関わるリスクは避けるべき」という「処世術的な正しさ」。
みなさんは、この事件をどのように受け止めたのでしょうか。
ボクは、圧倒的に後者派である。
「無敵の人」とは、あの論破王とされるひろゆき氏発の概念で、そもそも社会的信用が皆無で、逮捕されてもいい、何も失うものがないといった‘’無敵‘’の状態の人のことを揶揄してこう呼ぶ。
ボクが把握する限り、「無敵の人」の特徴は、繊細で粘着質であり、人から認められる経験を積み重ねてこなかったため、
自分が自分を信じることができていない。
そのくせプライドは高い。
そんな無敵の人の属性を理解して
最もやってはならないことは、名指しで否定し刺激を与えてしまうことである。
なぜならそこには‘’逃げ道‘’がないから。
大勢の前で指を指されて、”自分が”否定される。
そうなると自分の声は届かず、大勢に馬鹿にされているように感じるのだ。
自尊心が脆弱な無敵の人にとって、名指しで批判されることはプライドが傷つき耐え難い屈辱である。
逃げ道のなくなった無敵の人は、この憎しみをどこに向かわせるだろう。
どうやって発散するのだろうか。
失うものはナニもない、一般常識なんて知ったことか。
力による制圧である。
無差別に暴力を行使するのだ。
だからこういう人の内面の領域へは絶対に踏みこんではならない。
だからごめんね、勇敢な高校生。
ボクは、こう思う。
これからまだ楽しいこともたくさんあるのに、こんなことで一生を棒にふるかもしれないリスクをとるなんて割に合わないよ。
「スルー力」を発揮したほうが良かったんじゃないか。
それだって生きていくためには立派な能力だよ。
なんてね。
学校で学ぶべきことは、処世術ではないだろうか
ボクの主張を間違って捉えてほしくないが、小学生の道徳で行動の‘’善悪‘’の基準を学ぶ授業は必要だと思っている。
しかし併せて学ぶべきもっと大切なことは、仲が悪い人や、良くも悪くもない人との付き合い方。
仲が悪くても戦争しないで上手くやっていく方法を学ぶこと。
その方が、悪いことをした友達を注意するよりもよっぽど現実的で大切なことだとボクは思う。
それって、大人になってからも役に立つから。
人間なんだから、気が合わない人がいるのは当然である。
良識があるはずの大人社会でも
職場、ご近所、PTA、SNS…
毎日いたるところで炎上が勃発しているじゃないか。
なんとなく
「みんな‘’仲良し‘’にならなくてはいけない」
と思うかもしれないけど、生きていくためには別に仲良くならなくたって全く問題ない。
断言したっていい。
どんなに対策をしたって、誰かと仲が悪い、気が会わないとかは、グループに入る入らないとか、ゼロにはならない。多感な時期の人間を集めて、1つの部屋で1日の大半を過ごすという学校のカタチが無くならない限り絶対にね。
「万人から好かれたい」願望があるのなら、それは不可能である。
不可能なものを追い求めるから苦しくなる。
だからもし、自分が集団から避けられたり仲間外れにされたり陰口を叩かれているなと思った時、実際にそんな言葉を吐かれた時、
することは先生に言いつける事でも、
集団を壊す事でも、
殴りかかることでも、
無理して集まりに居続ける事でもない。
そっちを見ないようにして、
そっと距離を置く。
自分は嫌われているんだと悟る、
だったら違う世界や違う人間関係で生きていこうと決める。
この処世術が大切なんじゃないだろうか。
学校の道徳では教わらないかもしれないが、自分の身を守るためにもスッと身を引くことや、スルーすることも有効な時もあるのだ。
周りから誰もいなくなったら?
じゃ、ボクと一緒に肩を並べて飲みに行きましょう、
ね!
一年生の道徳の教科書を読んで、
ボク自身が無理して群れずに生きてきたなぁ、
と改めて思ったのでした。
…と、2週にわたってマジメなことを書いたから、ものすごく疲れた。
アヘアヘと疲弊しています。
次回からは2000文字以内を意識しよう。
何回目の宣言!?
いや、でも本当に笑