【節約生活#688】もったいない感覚の強化
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。
MOTTAINAI
外国から再輸入することで価値を認められることは昔からあった。浮世絵などが良い例である。
ずいぶん前に"MOTTAINAI"という語が流行った気がするので調べてみたら、提唱者は2005年にその言葉と出会ったのだという。
よく、言葉があることがその言葉を使うひとたちにとって概念があるかどうかに直結して考えることがある。
そう考えると海外では、「もったいない」という概念がないことになるけれども、ほんとうにないのだろうか。
この主張の基本はサピア・ウォーフの仮説である。ちなみに、ウォーフもそこまで強論しているわけではない。考えることに影響があるだろうくらいのものである。
反例を出せばたくさんある。
たとえば、海外でも使えるkaroshiという単語も、「だから過労死は日本特有なのだ」という議論にはならない。産業革命以降ヨーロッパでもたくさんの人が過労が原因で亡くなっているし、当然ながら社会問題化してもいる。
もったいないという感覚は節約生活でははずせないように考える。そこでもういちど"MOTTAINAI"を見ていると、ただ減るのが嫌というだけではない視点が強調されている。
元々のもったいないでは、環境問題については視野外であったと考える。言葉は出会う人によってこれほど理解が変わるのだろうということがわかる。
ただ、respectという点は自身でももう少し意識してよいのだと思う。今使っている身の回りのものへの感謝があれば、物を大事に扱う気にもなってくる。
一日にできることはそれほど多くない
今朝は体が重く、頭の起動ものろのろとしたものであった。
週末にいろいろと仕事関連の集まりがあったせいでもある。少し過労ぎみであったのだろう。
今の時代、パソコンのせいもあってかひとりでできることがあまりに増えてしまった。ついついあれもこれもと手を出してしまう。
節約思考をする観点からすれば、やはりほんとうにすべきことに集中して、他はできるだけ排除してしまいたくなる。一日にできることはそれほど多くない。意識せずについつい手を出してしまう悪癖が今朝の体の重さにつながっている。呪いのようなものだ。
自分のアクションポイントは?
今はどうなのだろうか。ターン制のシミュレーションゲームでは、1ターンにできる活動量をアクションポイントみたいな用語で表していた。移動に1ポイント、攻撃に2ポイントみないな割り振りがあった。
1日や半日をターン制にすることはできないけれども、アクションポイントは有限である。
今朝もやりたいことをぐっとこらえて書き出してみたらすぐにA4いっぱいになってしまった。とりあえずやりたいことは全部やればよいという若者の時代はもう終わりにしたい。
無駄なことに時間を使うことが「もったいない」と感じるようになった。節約をしていくと時間を有意義にすることができるし、積み重ねが人生を有意義につながると考えている。
「もったいない」感覚を強化することが豊かな時間を最大限に増やすせるのだと考えている。
今日はやっと脳も体も動くようになってきたので、限られたアクションポイントを振り分けて過ごしたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?