【節約生活#551】節約は「他人の目」ではなく「自分の目」と考えていたらnoteに感謝することになった
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康的で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦している。
見られると節約(だけではない)は進む
心理学の教科書を漁っていると必ず出てくる「ホーソン実験」というものがある。工場でどんな実験をしてもパフォーマンスが上がる(上がってしまう)というもので、結局は実験で「見られている」という感覚がパフォーマンスをあげたのだろうということになった。
実験的の解釈はいろいろあるのだろうけれども、見られていると滅多なことをしないのは確かである。
海外だと神様が見ているという感覚だろう。日本だと世間様だったりお天道様が見ているという感覚である。
自分が毎日noteで節約について記載していることとリンクもしている。noteでは誰が見るかわからない。しかし、「見られる」という感覚が毎日続けなければ・・・という習慣化に繋がっている。
つぶやきの他に550回も節約を考えていれば、まったくしないよりは節約力はつくのは明らかである。
自分が見ている
日本の場合は他人に見られているという感覚が強い文化なのだろう。それが治安であったり、社会のマナーの良さに繋がっているとは言える。
しかし同時に、世間と同じにしないといけないという感覚も強い。それが、車や家、衣服や食事などさまざまな支出を促すプレッシャーになる。
この圧力は節約生活を妨げることになる。
節約では世間の価値観よりも自分の価値観を優先することが重要になる。もちろん社会の中で生きるために、社会と折り合いをつける工夫も必要である。このあたりのことを節約者は非節約者よりも考えることになる。
自分の価値観を優先するということは、他人の目よりも自分の目に頼ることになる。
行動を自分の価値観に照らし合わせることが多くなる。
2年近く続けていくと、価値観は金銭感覚にとどまらなくなることに気づく。自分の良心を咎めるような行動はとりたくなくなる。
そういう気持ちが強くなってきて、コンプライアンス意識の低い今の職場を辞めることにも繋がった。
節約はきっかけであるけれども、節約をしていれば仕事を辞めても何とかなるので、ほとんどすべて節約が原因である。
死ぬ時に後悔したくないという感情も自分の目で自分を見ているからだと考える。幸せな人生を送りたいなら節約が必須なのかもしれない。
自分の目を鍛える
冒頭ソンの実験は、仕事をしている間は見られているという感覚があったであろう。
しかし、自分を常に監視することはできない。
たいてい、どこかに気が散ってしまう。
自分の目を鍛えるということは、価値観を磨くだけでなく、自分を見る回数を増やすことでもある。
個人的には、毎日noteで節約についてまとめていることも回数の確保という意味があると考えている。毎日決まった時間に、支出を自分の目で見て、価値観にあった支出かを検討している。
noteというサービスに感謝している。