【節約生活#684】豊かな生活に大金は要らない
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。
豊かな時間を探す・気づく
もしかしたらずっと意味のある時間を感じたいと思っていたのかもしれない。
自己有能感というか承認された感覚というか、そういってものが大事だというのは身をもって知った。
30歳くらいで仕事につくまで自分に力がないと考えていたし、なんだか疎まれていると感じていた。世の中は〇〇だから仕方ないみたいなことを言う人がいるけれども、自分がそうであった。
仕事をはじめてから、必要とされる感じがしてハードに働いていた。人に必要とされているという実感があったからだとは思う。
仕事のしすぎで体を壊したら、手のひらが返ったような感覚に陥った。
環境だけでなく、自分の考えもよくなかった。
自分をまず一番に認めるべきだということをアインシュタインも言っていた。
ちなみに、どういう文脈で話したのかを知りたくて時々調べているけれども出てこない。最近では嘘名言ではないかと疑っている。
今考えると、忙しさは自分のことを考える暇も奪っていた。
節約生活に挑戦してから、自分にとって意味のあると感じる時間がどいうものか少し気づいてきたように考える。
自分にとって意味のあると感じられる時間は、豊かな時間と置き換えられる。一日の中で、豊かな時間を探したり、気づくことができれば、それだけで満足感だとか幸福感だとかいうものを得られる。
まずは朝から
朝早く起きて豆を挽いてコーヒーを淹れている。
最近は軽い筋トレをしてからnoteを開いている。
今日は曇りであるけれども、朝焼けと鳥の声、遠くで電車が動き出す音が朝らしさを感じさせる。
今朝は何年か前に買ったエッセンシャルオイルでアロマ?を楽しんでいる。
繰り返しnoteに記載するけれども、のんびりとした朝の時間は自分にとって最重要である。一日のうちでもっとも大事にしている。
短い時間でも瞑想をしたり、自身のお金の使い方(くらしぶり)を確認したり・・・。することはたくさんあるけれども、何にも急き立てられてていない、自分だけの自分のための時間である。
一度のんびりとした時間を体験すると、なかなか離れられなく鳴る。一日の中でも折をみて頭の中を占拠しようとするあれこれを追い出している。
豊かな時間に大金は要らない
散財をしていたころは、毎晩珍しい食材に聞いたこともない銘柄のお酒を飲んで楽しんでいた。今思うと、それほど楽しそうではなかったけれども、その時だけは何もかもを忘れていた。
ほんとうに麻薬みたいなものである。
もしかしたら、よくある大金持ちが海外のリゾートでというのも似たようなものかもしれない。非日常で普段悩んでいる物事を忘れてしまう。
どういう時が豊かな時間なのかを知っていれば、大金は要らない。自分にとってはのんびりとした時間であり、忘れていた自分を思い出す時間である。
欲しいものが明確であればあるほど、最短距離で手に入る。だから、自分にとって豊かな時間が何であるかを考えることは最速で豊かな人生を送ることにつながる。
今朝はそんなことをコーヒーを飲みながら考えていた。