母の余命が教えてくれた”今を生きること” #未来のためにできること
2024年夏。22時、遠方に住む父から電話。
もう寝るところで、明日で良いんじゃないかと思いながらしぶしぶ通話ボタンを押した。
一瞬で眠気が覚めた。体を起こし声に集中する。
告げられた事実。その夜は眠れなかった。
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77歳の母は昨年末からあご周りの動きが悪く、口が開きづらい、しゃべりづらい、飲み込みづらい、など症状があり、先月、検査入院していた。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだん弱くなって、筋力がなくなっていく病気だ。
原因不明、治療法なし、しかも進行が早いのが特徴で、難病指定されており日本国内での患者数は約1万人。1億2000万人のうちの1万人って。
延命方法はあるが所詮延命に過ぎず、どの方法を取るか、または取らないかで命の長さが変わる。
高齢のため持病もあるし服薬も多く、筋力の衰えもある。
だが、私の中の母は、料理やパンづくりが得意で、裁縫も上手で、おしゃべりが好きで、旅行が好きで、人のお世話をするのが好きな母だ。
つい最近も、また一緒に旅行しようねと話していた。
祖母の他界が89歳。母もあと10年は元気でいると信じ込んでいた。
人生100年時代。
はやりの言葉が虚しくよぎる。
宗教改革者、ルターの言葉と言われている。
未来なんてわからないけれど、今を生きる私が何をするかは自分で決められる。
母の余命を知った今、私にできることは何か。
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すぐさま帰省を決めた。
同じく離れて暮らす兄も帰省し家族会議が開かれた。熱い夏の終わり。
次に、手当たりしだいネットで情報を漁った。
敵を知ること。
難病だけに情報が少ないが、調べるうちになかなか手強そうだと感じた。
2日後、この瞬間の気持ちや行動を記録しておきたくてnoteを書いた。
私が植える木を、未来の私や、いつかの誰かが眺めるかもしれない。
これから闘いが始まる。
決断を迫られる場面もあるだろう。
どんな時でも、今、私にできることを最大限、選んで生きていこうと心に刻む。
それこそが、母が自らの命を使って私に教えようとしてくれたことだから。
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