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建築家が考える「食」のダイバーシティ①ー未来の食事の在り方ー

昔と比べてフルタイムで働く人の数が多くなった現在、キャリアを構築しながら働いていくうえで、家事にかかる時間は省けるなら省きたい。そう考える人も多いのではないでしょうか。
その中で毎日訪れる「食事」について、いまや自分で作るものという考え留める必要はないのではないでしょうか。
クライアントさまのなかにも、キッチンは小さくていいですやこんなにも機能はいりません。。。という方結構多くいらっしゃいます。中には、奥さんに料理はさせませんので最低限しかいりませんという方も。

外食文化が栄えている台湾を見てみましょう。ここでは朝昼晩の三食を外食でとる人も珍しくはありません。
外食費用も高くはないので単身者で料理をする人は稀で、そういった人たちの住むアパートにはそもそもキッチンがついていないことが多いそうです。さらに、家庭があっても、料理が親の役目であるべきという考えは一般的ではありません。台湾は男女共働き家庭が多いため、テイクアウトをしてくるか祖父母がまとめて作るといったことが多いそうです。フルタイムの共働き家庭が多いこと、外食が特別なものでないこと、このどちらが先に広まった習慣であるかはハッキリとはしていませんが、この2つの要素がうまく機能して『「食事」は自分以外に頼ってもなんら問題はない』という空気が出来上がっています。食事は家で取るものという考えがいまだ強い日本ではありますが、台湾の「外食に頼ることができるからキッチンに多機能性はいらない」という事例は、最近の働く日本人たちの生活習慣を考えると日本にも導入していいのではないかと思います。もちろん好きな方はするべきです!

仕事に忙殺されて時間の取れない人たちはいまや外食や宅配で食事を済ませています。そういう人たちは台湾の単身者と同じく、食事の準備に労力を割かないためキッチンに多機能性を求めていません。外食が多いからキッチンがいらない、もしくは簡単な料理しか行わないから広い調理台や多機能性はいらない。最低限のシンプルなものでいいのです。しかし、キッチンメーカーはこの事情を完全には把握できていないようで、多機能性を良しとして必要最低限の機能を備えたキッチンのバリエーションは少ないです。

このようなトレンドは単身者に限らず子を持つ家庭でも見られます。食事は家事代行に依頼したり、育児に関しても外注したりすることが昔と比べると珍しくなくなってきています。つまり、家庭内ですべてを処理するという考え方が徐々に変わってきています。この変化に伴い、社会全体も考え方を更新する必要があると思います。そして、高いお金を払って頼む代行サービスのような一部の人が特権的に利用できるサービスに限定されないような仕組みを作ることが不可欠です。

例えば、食事における栄養を考えることに関して。先の外食に関して真っ先に栄養面が心配されます。栄養問題は外食に限らず自炊でも難しいです。食事をしっかりとることを大前提として、世間では「健康に生きるためには毎日○○品目の野菜を取りましょう」など理想的な生活を推奨されていますが、これは単身でも家庭がある人でもどんな人にとっても難しい注文です。栄養士や料理研究家という職業があるくらいだから栄養バランスを個々人で考えていくというのは難しいはずです。いままで家庭内で処理していた栄養問題を、内に留めず外に任せることができたらどれだけの人にとって大きな助けとなるでしょう。

台湾の例と栄養の例からもうかがえるように家の中で食べること、作ることが当然されていた食事についてそのあり方を考える必要がでてきたと言えます。家事代行のような、家の中にいる人だけに家事の所在を求めるのではなく第三者に任せるという手段が少しずつ広まってきたことにより、家事と都市の結びつきというものが少しずつ見えてきています。まずは生きる上で欠かせない「食事」について都市とのネットワークを考えてみることで、固定観念が外れて誰にとっても暮らしやすい都市となるのではないでしょうか。

食事における栄養を都市全体で考えることには、自炊の負担を減らすこと以外にもメリットがあります。女性の平均寿命は男性のそれよりも長く、夫に先立たれ1人となったときに孤独を感じるようになるといったケースが多くあります。その場合いわゆる「孤食」という状況に陥り、食事から得られる喜び等も感じづらくなってしまいます。貧困家庭や孤食の子どもに対してひらかれたこども食堂が存在しているように、食事を介して都市とのネットワークを作ることでこのような問題も防げるのではないでしょうか。

私たち建築家や都市をつくる会社、飲食業は子供や高齢者の食事をどう地域で賄っていくかということを考える視点が重要です。子供食堂などもありますが、もっとどこにでもある、カフェやレストランでコミュニケーションがとれるような構造が必要です。

スーパーマーケットなども考え方によっては栄養素ある食事を私たちが選択できる基盤の1つの大切な要素であったりコンビニは私たちの食生活を圧倒的に便利にしてくれていたりしますが、どちらもコミュニケーションがついていこないのが難点です。キッチンがいらないという方向は外食文化や時短を目的としたものではありますが、食とコミュニケーションは切ってもきれません。働く世代には有効かもしれませんが、高齢者の家にキッチンロボットなどがはいっても孤独の解決にはなりません。たとえば、医療関係の建物が予防を兼ねて食事の提供がはじまるとよいのではと個人的には思っています。

近い将来、キッチンはきっと家から都市へ飛び出て新しいコミュニティ形成の時代がくるかもしれない。
家のキッチンの進化をとげるのか楽しみです。


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