第十五話 価値観を崩された天狗女
次の日の放課後、私は早速、伊賀晃に会いに行った。
「1年生?誰か待ってるの?」
入り口の近くをうろついていた私に3年生の女子が声を掛けてきた。
香水、整髪料もしくは化粧品と思われるフローラルな匂いが鼻をくすぐった。
「伊賀晃に話がある」
3年の女子は少し眉をひそめて急に態度を変えてきたことに私は違和感を感じた。
友人と談笑していた伊賀晃が私に気付くと急に表情を曇らせ、教室の出入り口にきた。
3年の女子は、それをみて私にだけ聞こえるよう舌打ちし、その場を去った。先ほどの態度から考えてこちらに敵意を向けているのは明らかだ。
「ここは人が多い。俺について来い」
伊賀晃は私の手を掴み強引に廊下を進む。やめてと言っても伊賀晃は全く聞いていない。
廊下を渡りきると今度は階段をぐんぐん登って行く。
上がるにつれ、階段の手すりにホコリが増えると同時に、人けも少なくなる。
ようやく伊賀晃が歩を止めた場所で、息が上がっていることがばれない様に深呼吸をしたらホコリが入りむせ返る。
伊賀晃は制服のポケットから鍵を取り出し、重そうな鉄の扉のドアノブに差し込み、回した。
彼がドアを開けると眩しい光が見え、暗い階段の踊り場を明るくした。
私はまるで地獄の暗闇に突如現れた神を見るかの様に、思わず目を細めた。
「ここはどこ?」
「秘密の場所」
「ただの屋上に見えるけど……」
「そうとも言うな」
伊賀晃は歩き出し、出入り口から隠れる様に設置されている建物を指差し「あそこだ」と言った。無機質なコンクリートの建物で、近くにあるフェンスと同じ高さだ。何年も、いや、何十年も野ざらしにされた壁面は雨や鳥のフンや様々な贈り物を空から受け、お世辞にも綺麗とは言い難い。
「意外と中は綺麗なんだぞ」そう言って伊賀晃は先程とは別の鍵を取り出し、ペンキが風化して剥がれかけたドアのノブに差し込み回す。
中は狭い部屋だった。玄関スペースはすぐに終わり、こじんまりした靴箱が控えめに置いてある。床は綺麗にワックスが塗られたフローリング。玄関から入ってすぐ右には流し台とキッチンがあり、その隣には小さな冷蔵庫。中央には小さなテーブルがある。
確かに、伊賀晃の言う通り、外観とは比べものにならない位、中は綺麗に整えられていた。
「ここは一体なんなんだ?」
「俺の部屋だ」
「こんな狭いところに住んでいるのか」
「一応、下の階もあるけどな」
伊賀晃が冷蔵庫の隣の床を指差す。
「床を開けると階段があって、降りるとシャワーと寝室、トイレも完備だ。まぁ、東雲家の部屋と比べたら狭いだろうが十分足りる」
「じゃあなぜ昨日は寮にいたんだ?」
「寮に住んでいるからだけど」
「つまり、ここと寮の両方に部屋があると言うことか」
「そういうこと。ここは主に昼寝や家業の事情で寮に戻れない時に使ってる」
「ふぅん」
私は部屋をくまなく見渡し、埃が満遍なく薄く付いているのを見て伊賀晃は掃除が苦手なのかなと思った。
「で、用事はなんだ?」
「え、あ、そうだな……」
突然のことに慌て、言葉が詰まった。が答えはすぐに出た。
「伊賀晃より強くなるにはどうすればいい?」
「お前はいつもそれしか考えて無いんだな」
「わ、悪いか」
伊賀晃の呆れた顔に思わず恥ずかしくて顔が熱くなる。
「いや、良いんだけどさ。分かってないよね」
「何がだ?」
「そもそも、男と女は身体能力的に差があるのは分かるか」
「認めたく無いけどそうだな」
「そこをまず分かった上で戦略を立てる必要があるんだよ」
「というと?」
「逆に質問するけど、真っ向勝負しても勝てないのであれば東雲は何をする?」
「うーん……相手の出方を研究する?」
「そう、それだよ。その技術を東雲は身につける必要があるんだ」
「分からなくなってきたぞ……」
「まあそれはしょうがない部分もある。俺と同じで学園に来るまでずっと一族としか関わって来てないからな」
「それでも、私はずっと修行をしてき……」
「それじゃ不十分なんだ」
語気を強める伊賀晃に圧倒され、私はこれ以上反論することができなかった。
「お前、友達いないだろう」
「そんなの作る必要無い」
「その認識が甘いんだよ。忍の仕事を舐めるな。さっきだってそうだ。お前はこの態度と話し方だけで3年の女子全員を敵に回したの分かってるか?」
「…………」
「これも分からない様じゃあ俺に相談するだけ時間の無駄だ。この学園に通い続けるのも忍者を目指すことも無理だから諦めるんだな」
学園に入学するまで、生徒の誰よりも勉強し、修行してきた。人一倍努力したから学園1強いという自負を持って入学した。
授業もくだらないと思うくらいに簡単だったし、私より強いと思うのは目の前にいる伊賀晃くらいだろう。
なのに、なぜ目の前にいる伊賀晃は私の目指す道を諦めろというのだろうか。私が描いていた目標に辿り着くまでの道が間違っているとでも言うのだろうか。
あの父上に厳しく叩かれ、鍛え上げたものが意味のないガラクタだったのか。ポチは何のために生まれ何のために犠牲になったのか。全てが意味をなさないと?
わからない。答えが見当たらない。
気づいたら目の周りが熱くなり、雫が線をなぞっていた。
「あー…すまん、言い過ぎた」
伊賀晃は慌ててポケットに無造作に入れていたハンカチを取り出し「使えよ」と言って私にくれた。
私はそれでぐしゃぐしゃになった顔を隠す様に押し当てる。
「今日はもう寮に帰れ。送っていくから」
私は嗚咽を出しながら、首を縦に振る。
伊賀晃は私の頭をポンポンと軽く撫でながらおさまるのを待ってくれた。
第十六話へ続く / この話のもくじ
画像:フリー写真素材ぱくたそ
サポートを頂けたら、創作の励みになります!