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人生のマジックアワー、綺麗だなんて言わないで


はじめて“マジックアワー”という言葉を知ったのは、新入社員の4月、入社前から仲良かったグループでエアビーで深夜に『明け方の若者たち』を観た時だった。

今思えば、よくあの映画をキラキラの新入社員たちで観たなと思うのだけど、そんなことも出来てしまったのも、無謀で無敵だったあの頃の私たちだったなぁと思う。
7人グループのうち2人が、3年目を迎えたタイミングで転職しました。

正直この映画は苦手だった。
内容はぼんやりとしか覚えていないのだけど、いわゆる“よくある話”の現実を描写した映画だった。
仕事も恋愛もひたすら靄がかかったような苦しい映画で、でもそうやってもがいて生きる若者達や、明け方まで飲んだ帰り道、思い描く道と違う仕事、傷だらけの恋愛、すべてひっくるめて、その瞬間しかない青春で、もう戻れない時間で、だから“人生のマジックアワー”と呼ぶんだなと、そんな感じの映画だった。

世界が彼女で満たされる一方で、社会人になった僕は、"こんなハズじゃなかった人生"に打ちのめされていく。息の詰まる満員電車。夢見た未来とは異なる現在。深夜の高円寺の公園と親友だけが、救いだったあの頃。

それでも、振り返れば全てが、美しい。
人生のマジックアワーを描いた、20代の青春譚

https://note.com/moriba_to/n/n4557c86467f0



そんな、マジックアワーみたいな時間を今生きているんだなと思ったことが、この1週間くらい何度かあった。


◇◇◇

『若手たちで飲んだ夢の中みたいな金曜日の夜』

ずっと立て込んでいて、同じ年齢層の飲み会に行くなんて何ヶ月ぶりだろうと思った。

最初は女子会。私の部署はこれまで男性しかいなくて、女性の先輩と関わることが少なかったから、女性の先輩方と仲良くなれて嬉しかった。

そしてその後、周辺で飲んでいる、同じ会社の同じ建物の若手たち3つくらいのグループと合流した。15人というかなりの大人数になったのだけど、私の建物は同じフロアに2年間いても、顔を認識していないみたいなことが結構起こるので、ほとんど初めまして、みたいな方もいた。
金曜日の夜、居酒屋の熱気、ビール、仕事の話、溢れる笑い声、23時の残業終わりでも元気に登場する「姉さん」と呼ばれている頼りになる先輩。
とにかく楽しくて、夢の中にいるみたいな空間だった。

私の会社は転職率も高くて、きっとこの同じメンバーで、こんなにたくさん集まるのは、最初で最後なのだと思う。
この時間は二度と戻らなくて、もう消えちゃうんだなと思った時に、“マジックアワー”を思い出した。

その飲み会の帰り道、同じ部署の唯一の同期に、
「しんどいけど、俺たちは頑張ろうな。」
と言われた。
部署内でチームは違うけど、2年間、たくさんの辛いことを笑いに変えたり、お互いの大変なことを言い合ったり、一番死にそうな時期を見ながら、一緒に仕事してきた。
彼がいたから、私はここで頑張って来れた。
同じ部署に同期がいてくれて良かった。
ありがとう。

入社してから、たくさんの人と出会って、たくさんの人が去っていった。
もう戻れない時間がたくさんある。
でもそれでも、時間は流れて、出会いは入れ替わって、続いていくの。たくさん思い出した。もう戻れない恋しい時間。マジックアワーは消えてしまうけど、時は続いて、今があって、この先に繋がっていく瞬間がある。


◇◇◇

『「この道で頑張り続けることだけが解じゃない。」
先輩に救われた日がたくさんありました』


同じ部署の一つ上の先輩が、辞めてしまう。

部署内の他の若手たちは出張中だったり不在だったりで、いるメンバーで一次会をやりましょうと、急遽その先輩と、例の同期と焼肉に行った。

「もう揺らがない。今自分がいた環境が正しいのかを確かめるためにも、一度外に出たい。」

先輩はそう言って、私たちはお肉を焼いたり、美味しい冷麺を食べた。

「この道で頑張り続けることだけが解じゃない」
先輩はそう言った。救われた。

私、今の欧州の海外営業という仕事がすごく好きで、良くも悪くも若手のうちから裁量をたくさん持たせてくれるこの環境は正直偶然で、こんな環境を探すことはすごく難しいことだと思う。

好きな仕事は幸せだけど、怖い。
目標があると、この道で頑張り続けることしか道がない気がしてしまって。
身体に負荷をかけてでも、どうにかその負荷を取り除く努力をしながら、頑張ることを選んできた。
苦しいことがあっても、乗り越えられた。
すべては好きな仕事を続けるためだった。

夢を持つことは、苦しい。
夢なんて、持ちたくないって言ったら怒られそう。
結局、私は夢を追いたくて追ってしまう。

でも、きっと、今いる道だけが解じゃなくて、
世界は広いから、自分のやりたいことは
遠回りになっても、いつか叶えられるはず。


がんばりつづけなければ、
そうやって泣きそうになっていた私に、
止まってもいいと言ってくれたあの日。

悩む時間は無駄じゃなくて、意味があるもの。
そう言ってくれたあの日。

まじで〇〇さんは頑張っているから、
本当にすごいと思う。

頑張らなくていいんだよ。
まじで身体を大事にしな。

感情を飲み込まなくていい。
おかしいことにはおかしいと怒っていい。
辛い時に泣けない人間になったらだめだよ。


私は、先輩のたくさんの言葉に、
たくさん救われた日がありました。

先輩の後輩になれて、
人として大切な、忘れてはいけないことをたくさん教えてもらえて、幸せでした。


3人で食べた焼肉、すごく美味しかった。
お腹が心から満たされることで幸せを感じること、すごく久しぶりだった。きっとこの夜は、いつまでも忘れない。



◇◇◇

『心の砦を守ってくれた私の上司』


夜7時半。
「まだ仕事しててえらいね」
と他部署の先輩に言われたとき、
「もう嫌なんです。本当は帰りたくて仕方ないんです。」
と言った瞬間、泣きそうになった。

どうしてもその日までにお客様に出さないといけないメールがあって、でもすでにその前の日から、心がすり減るようなことがたくさんあった。

あ、これもうダメだ。
そう思った瞬間に、パソコンを持って離れた席に座っている直属の課長の隣に、椅子をコロコロ持っていって、沢山どうでもいいことをおしゃべりしながら見積書を作った。

人がどんどん少なくなっていく夜のオフィスで、
「私のこの仕事が終わるまでぜったいに帰らないでください。」
と言いながら仕事をした。

課長は、今日はもう疲れたなんて言いながら、ペットボトルを捨てにいったり、窓の外の夜景を見たり(笑)たまにメールを覗き込んだりしながら、私がメールを出すところまで見届けてくれた。

ごめんなさい、本当にこんなことに付き合わせてすみません。と私は言いながら、
課長は隣でお腹がぐーぐー鳴ってたけど、
本当に最後まで付き合ってくれて、よし終わった!って2人で一緒に会社を出て、
すっかり元気になった私はおしゃべりしながら駅まで一緒に歩いた。

この日、課長が最後まで一緒に仕事をしてくれなかったら、私は心が折れてしまっていました。
課長は良い意味でマイペースで、本当にいい人で、おおらかな人で、結構おおざっぱな方なので、たぶんもうその日のこと忘れてます(笑)

でも、心の最後の砦を守ってくれる人が、
私の課長で良かったなと泣きそうになりました。

人が少ない夜のオフィスで一緒に仕事した夜、
夜風が爽やかな、賑やかな駅までの街を歩いた帰り道。
私を救ってくれた、この日のこと。
一生忘れない。


◇◇◇

ぜんぶ、マジックアワー。
きっと20代の半ばのこの瞬間の、尊い時間。

いつかこの先、振り返ったら綺麗だと思う、
懐かしい日々になる。


読んでくださりありがとうございます。

あこ

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