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CEREBAKAいばの徒然なるサポーターの日常

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セレッソ馬鹿いばまさひろが徒然なるサポーターの日常を描いていきます。多分毎週土曜日更新(のはず)。
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パリオリンピックを横目で見ながら

オリンピックのサッカー競技を見るといつもなぜか決まって釜本邦茂さんに似たおじさんのことを思い出してしまう。銅メダルを獲得した時にはまだ生まれていないし、当たり前だけど釜本さんのプレーなどほとんど見たことも無いのにどうしてなのだろう(似たおじさんはまったく関係ない)。 そんなどうでもいい思いをしているあいだに男子は敗退してしまった。オーバーエイジを入れる入れない問題は過去のものとなり、素晴らしい戦いだったのではないだろうか。時差の関係でほとんどリアルタイムは夢のなかで過ごしてい

サイン

 note創作大賞にエントリーをしてみた。  これがどんなところに向かう行為なのかわからない。それでもなにかを伝えることそのものが重要なのだと思う。  言葉、手振り身振り、その他諸々。なにも行動しなかったら相手は気づかない。だからこそサインを送り続ける必要があるのだ。  人がスタジアムに集まればそれはもうアミーゴだと呼べる。  たとえアミーゴになったからと言っても、アミーゴ同士が以心伝心であったとしても、伝えること、伝え続けることは決してなくならない。  いいことも悪いこと

受けて、受けきって、そこからひっくり返す力

いきなりだがプロレスという世界はとても奥が深い。 だけど僕の周りの大半はそれを意識していない。 理解していないという言葉も出てきそうではあるけど、 そもそも理解の域にまでも達していないと思う。 プロレスは勝つか負けるかの話ではない。 勝つにも勝つなりの、負けるにも負けるなりの ストーリーというものが必ず存在している。 僕はそんなプロレスの美しさに魅了されている。 強い者が勝つんじゃない、勝った者が強いんだ。 キャプ翼とかに出てきそうな台詞を言ってしまいそうな そんな試合がこ

袖振り合うも多生の縁

ワンコの散歩に行くとそれこそいろんな人とすれ違う。 今夜もそんな出会いの場がいくつも存在していた。 犬を連れていると自然と軽い挨拶をすることになる。 でも、歩きスマホの人とは決して目が合うことはない。 袖振り合うも多生の縁は日本から確実に減っているな。 そう言えば、多生、なのか、他生、なのか。 人と人のちょっとした出来事であったとしても、 なにか深い宿縁でつながっていっているのだろうな。 これはセレッソ大阪について書くためのnoteなのだ。 だからこそ道を踏み外さないように

機械じゃないから

ここ数試合を見ていて物足りなさを感じるのは、 やはり香川真司選手がいないからだろうか。 いくらサイドに強烈なタレントがいたとしても、 そこだけですべてが完結するとは思えない。 それでも負けずにいられるのは、きっとあれだ。 そんなことを考えながらの90分でもあった。 こんなふうに落ち着いてセレッソ大阪を見るの、 いつからなんやろうなと時々思うことがある。 ゴール裏を離れてから、たぶん20年は経っている。 40歳になってからか、それとも50を超えたからか。 俯瞰して見るのも悪く

新戦力

セレッソ大阪が開幕5試合無敗で来ている。 なんか、聞くところ、セレッソ大阪史上初らしい。 30年も経っていると記憶など点でしかない。 点と点を線でつないでいく作業を脳内でおこなっている。 なかなかコネクションできないのであろう。 人の記憶など、所詮その程度のものなのだ。 色々と30年前のことや歴史などを聞かせてと言われる。 頭のなかにあるのはサポーターとしての記憶だけだ。 クラブとしての歴史とうまくリンクすればいいのだけど。 どうも揉めているシーンしか思い浮かばないな。 良

15の夜も53の夜も

花粉症を抑えるためについに病院へ行った。 なんとも言えないくらい楽になった。 食わず嫌いとはいかほどのものなのか。 やはり人間は誰かに頼ってしか生きられない。 なんてちっぽけでなんて無力な15の夜。 セレッソ大阪の連勝に浮かれるだけでは、 なにひとつ生き方が変わることはない。 それでも勝利というのは気つけ薬でもあるな。 花粉症から自由になれた気がした15の夜。 もう日本代表の試合の一喜一憂が、 マイクがいるかいないかで成り立っている。 もちろん南野拓実がいるのも嬉しいのだけ

改善しない体調

いやあすこぶる体調が悪い。 何が原因なのかまったくわからないのが怖い。 年齢的なものもあるのかもしれないけれど、 久々の状況に身体の震えが止まらないのだ。 ご存じの方も多いと思うけど大の医者嫌いだ。 できることならかかりたくないのが本望。 それでももしかしたらどこかのタイミングで、 ちゃんと診察受けたほうがいいのかなとも思う。 まずは睡眠時間から大量確保していこう。 重ねて花粉症もあるのだから厄介なのだ。 先週のウダウダもかなり聞きづらかっただろう。 完全に両の穴が塞がってし

この試合が最期になっても

出張中に鳥山明氏の訃報を見て悲しくなった。 漫画家を目指していた頃があったから。 死んでしまってもそれですべてが終わりではない。 作品は残るし、マインドも残っていくだろう。 自分自身がこの世からいなくなるときって いったいどんなことになるのか想像できない。 そんな思いをスタバのテーブル席で書いている。 最近なかなかリアルタイムで試合を見れていない。 そんな状態でウダウダと語ってしまえるのは まるっきり仲間のおかげであると言うほかない。 時折冷たい風がテーブル下の足元を抜けて

休憩と、睡眠と、ウダウダ

幸か不幸か、最近徐々に体重が減っている。 どちらかと言えば良くない知らせに近しい。 定期的にそんな出来事が発生しているわけである。 健康なんて言葉は久しく聞いていないなと思う。 それ以上に花粉が目、鼻、喉を直撃しているのだ。 この時期のウダウダはダブル鼻詰まりで申し訳ない。 鼻と喉はなんとか処置して我慢できている。 しかしながら目だけはどうにもならない状況なのだ。 かけばかくほど痛みも増してつらくなっていく。 自分自身のサガとして共に生きていくしかないのか。 開幕戦は良い意

すべてがセレッソなら、それは人生のすべてがセレッソだ

数カ月ぶりにJリーグがぼくの日常に戻ってきた。 こんなときくらいしか他クラブの試合を見ないのに。 おお、とか、ええ、とか言いながらモニタに釘付けになる。 そんな昨日が終わり、今日はセレッソ大阪の開幕戦だ。 スターティングメンバーを見ながらニヤニヤしてしまう。 誰が出場しても、誰が出場しなくても問題ない。 そこにいるすべての選手がセレッソ大阪なのである。 そしてそれを見ているのはすべてセレッソ大阪サポーター。 こんな毎日があるだけで、人生幸せと言い切れるな。 便りがないのはよ

サッカー選手の人生を決めるチャント

人生をかける瞬間がいつの時代にも存在している。 受験、就職、結婚。一般人ならこんなところだ。 だけどサッカー選手という生き物にとっての瞬間ってのは 一体全体、どれくらいあるものなのだろうかと思案する。 チャントができる瞬間なんてものも、そのひとつだろうか。 まあ選手にとっては自分でどうにもできないわけだけど。 それでも、そのチャントがひとり歩きすることだってあるし。 できれば自分の好みの歌になったほうがいいのかとか。 毎年この時期になるとそんなことを考えてしまう。 同様に木

ちゃんと語彙力を高めよう

本当のようで怪しい話が世の中には五万とある。 原則、ぼくの書く文章は、まごうことなくすべて真実だ。 だけど部分部分では脚色しているところもちらほら。 どこかの学者さんがこんなことを言っていた。 「人間は虚構を生み出す力があるから生き残れた」ですって。 とは言えそれだけではなかなか立ち行かないこともある。 正直不動産並みに風が吹いてきたらどうしましょう。 そんなことを思ってしまう日もときにはあったりする。 先日の木曜日もかなり正直に本音トークを繰り広げた。 セレッソ大阪を離れ

コールリーダーチャリティミーティング

二〇二四年のJリーグ開幕がヒタヒタとぼくの元へやってきている。 周年記念の年はセレッソ大阪にとって不吉なサインでもある。 一〇年おきの地獄さながらの世界がやってくるのか。 それともセレッソ大阪サポーターにとっての至福のときが訪れるのか。 何とも言えないこの開幕の足音がぼくは苦手なのである。 だからと言って、なんもしないわけにはいかない。 なので、コールリーダーチャリティミーティングなるものを催した。 これは先の能登半島地震のチャリティイベントでもある。 ところで、 毎週のS