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サイン
note創作大賞にエントリーをしてみた。
これがどんなところに向かう行為なのかわからない。それでもなにかを伝えることそのものが重要なのだと思う。
言葉、手振り身振り、その他諸々。なにも行動しなかったら相手は気づかない。だからこそサインを送り続ける必要があるのだ。
人がスタジアムに集まればそれはもうアミーゴだと呼べる。
たとえアミーゴになったからと言っても、アミーゴ同士が以心伝心であったとしても、伝えること、伝え続けることは決してなくならない。
いいことも悪いことも、伝えなければ伝わらない。伝わらなければ相手はそのサインを得ることすらない。
人が人である以上、サインを欠かすことはできないそれが動物からホモ・サピエンスへと進化を遂げた、人間社会においての人の基礎技術だとも言えるのだ。
DAZNの映像で見ているとなんだかよくわからなかった。ゴール裏でなにかが起こっていることだけは確かだ。たぶん、サポーターが急病なんだろうと少なからず思った。
聞こえるはずもないのに「AED、AED」とか言ってみる。そんなぼくの空アドバイスに呼応したわけでもないけど、救護に向かう方々の姿がモニタに映る。
サポーターが選手にサインを送り、選手がレフェリーにサインを送り、レフェリーがスタジアム全体にサインを送る。伝えるからこそ伝わる。これこそがアミーゴとしての関係性なのだろうなとタブレット越しに感じた。
サインを送ろうとする意思には感情が載る。その感情は他の人間の感情へと伝播する。サッカーの応援がひとつにまとまっていく感があるとき、実はそんな感情が詰まったサインが飛び交っている。
目には見えないかもしれないけれど、間違いなくそれはゴール裏、いやスタジアム全体の大きなネットワークを構築していくのだ。そのサインを送り続けるのがコールリーダーだと言ってしまうと多少誇張もあるだろうか。
ただ単に目立ちたいと思う人はコールリーダーにはなれない。それだけは断じて言い切ることができる。それは30年前も今も変わらない普遍で不変の原則なのだ。
その果たすべき責任と権限があるからこそそこに立っていられる。時代は変わろうともリーダーの形は変わらないし、リーダーの放つサインは色褪せない。そういうクラブになっていっていることこそが誇らしい。
足らなかった勝ち点二以上に価値のある、最高のサポーター、最高のゴール裏、最高のスタジアムだというサインに嬉しく思う週末だった。