この試合が最期になっても
出張中に鳥山明氏の訃報を見て悲しくなった。
漫画家を目指していた頃があったから。
死んでしまってもそれですべてが終わりではない。
作品は残るし、マインドも残っていくだろう。
自分自身がこの世からいなくなるときって
いったいどんなことになるのか想像できない。
そんな思いをスタバのテーブル席で書いている。
最近なかなかリアルタイムで試合を見れていない。
そんな状態でウダウダと語ってしまえるのは
まるっきり仲間のおかげであると言うほかない。
時折冷たい風がテーブル下の足元を抜けていく。
三月なのにまだまだ身体に厳しい季節やな。
「四季よ暑くなったり寒くなったりはよしてくれ!」
言いたい気持ちをコーヒーに癒やしてもらう時間。
今日のスタジアムはかなり寒いんやろうなあ。
それでもセレッソ大阪をリアルに感じられる。
その時間を楽しめるサポーターであり続けたい。
年に数試合しか味わえない身体になってしまったけど、
死ぬその瞬間までは忘れずにいたいなと思う。
そうは言っても少しずつ日々が過ぎていくのだ。
今朝読み切った書籍にもこんなことが書いてあった。
「身体が朽ちる日を思い描いておく必要がある」
ああ、そんなのって、毎日のことやないか。
本に言われなくても、自分のことは一番わかる。
だからこそ一試合一試合を大事にしていきたい。
それにしてもスタバの席が寒くなってきた。
仕事も一息ついたところでスタジアムに向かうか。
次々と店内に吸い込まれる人を見るのは楽しい。
日本人も外国の方も、実に幸せそうな顔をしている。
カフェにはなんだか人を幸せにする要素がある。
僕にとってのセレッソ大阪とまったく同じやんか。
一点だけ違うのは、帰りも笑えるかの保証はない。
でも、それが、サッカーの魅力であるのだろう。
買っても負けても、人生と重なっていくものだ。
そうやって三〇年間、生き続けてきたのだから。
そう思えるだけでも僕は幸せ者なんやなと思う。
身が朽ちたらスタジアムに骨を撒いてもらおうか。
そんなんしたら選手もやりづらいやろうなあ。
おおよそ、スタバで考えることでは、ない。
一杯のコーヒーに幸せをもらいに来たのだから。
とは言え、もうそろそろ身体が冷え切ってしまう。
アーモンドミルクラテはすでに温かみを失っている。
いよいよ店から出る時間が訪れたのだろう。
さて、あったかい試合を見ることができるだろうか。
それはもしかしたら自分次第でなんとでもなるはず。
きっとこの試合が最期になっても悔いたりしない。
明日死ぬかもしれない、と思いながら、観戦しよう。