🌟大人も来れる”食堂”をつくるべし~大人だって食に困ってるんよ🌟
こどもは同情されやすい
こども食堂ブームがすごい。いまや小学校区に1つはあるようだ。こどもの貧困問題が叫ばれてから10年は経つ。こどもはかわいいし、同情してもらいやすいのかもしれない。
もし路上に小学生くらいのこどもが寝込んでいたら大騒ぎで周りの人たちが駆けつけるだろう。
大人は自己責任なのか
一方で、みすぼらしい成人が路上で寝込んでいたとする。酔っ払いかホームレスと思われ周りは見過ごすに違いない。下手したら通報し警察が排除するかもしれない。
こども食堂はたいていはこどもとその保護者が対象である。単身の大人が乗り込んだらお断りされるだろう。
おとな食堂をしいて言うならば、野宿生活者への炊き出しかもしれない。ただ炊き出しは野外が多いし交流があるようなものとはいいにくい。
こども食堂の目的はなにか
こども食堂の目的
こども食堂はそもそもなぜできたのだろうか。その本質を再考しよう。
貧困状態にあるこどもにとって十分な栄養バランスの行き届いた食事をすることは難しい。保護者たるシングルマザー・ファザーは仕事で忙しく手料理する暇はない。代わりにお金を渡してコンビニでこどもに買ってきてもらうことになる。そんな食生活はひもじいものだ。
つまり、彼らに栄養満点の食事と人的交流を与えるためにこども食堂はできたと言える。
これには同意するし、これからももっと輪が広がっていくべきである。
大人は大丈夫なのか
しかしこの問題はこどもだけなのだろうか。貧困や障害状態にある大人が栄養バランスの行き届いた食事ができていると胸をはっていえるだろうか。
1つ違うと言えるのなら、こどもは就労ができないので自分の稼ぎによる食費補填ができないことだろう。しかし、先のような大人も十分な収入はあるとはいえない。また障害等により就労できていない者もいる。
”生きづらさ”のある大人の食事
私の実体験
ここで大人である私の食事を紹介する。
現在実家暮らしの私は食生活をほぼすべて親に頼っている。それらでは栄養バランスはとれているといえるだろう。
一方で外出時の食事は経費節約のため6枚切り食パンにバターと砂糖とまぶしただけのものや、コスパの良いスティックパンである。とても健康的とはいえない。
また大学院在学時はひどかった。即席めんとこれまた食パンだらけだった。自炊はできない。精神的・肉体的に病んでおり炊事に活力を注げないのだ。
もし障害者たる私が再度一人暮らしをすれば不摂生な食生活は見えている。
病んでる大人の食事
私と同様にワーキングプアの方々も似たような食生活に陥っていると考えている。心身疲労して帰宅した後に、限られた食費から作れるものは即席めんや総菜パンになるのだろう。
理想の食堂の姿
言わずもがな、理想の食堂はこれだ。こどもからおとな、高齢者関係なく誰もが歓迎される”食堂”である。こども食堂でもないし、おとな食堂でもない。名前はわからない。
こどもから高齢者までのぬくもりある人的交流があり、そこに来れば栄養バランスの取れる、食堂が増えてほしいのだ。
ウィークタイさんでの食事作り会やユースプラザの料理講座もこれに近い取り組みだ。
そんな食堂を↑Centipede↓としても作っていきたい。