#230 「やらない」は後悔する
本日は8時15分起床。目覚しあり。
その後ダラダラスマホに耽り、結局起き上がるのは9時になってしまった。小学生の夏休み的な堕落具合だな。やれやれだぜ。
私は本当に幼稚だ。中学生くらいで精神年齢が止まったまま。永遠の思春期。肉体だけが老いていく日々。なんとも情けなく、つらい。
中途覚醒はなし。
寝汗などもなし。気温が涼しくなってきた影響だろう。
昨晩も沈むような感覚のまま眠りに落ちる。
アンビエントをうっすらかけた。その音楽と虫の音が混じり合うさまを聴く余裕もなく、ただただ意識が無くなっていった。
最近どうも疲れているのか、からだが眠りを欲している。
種を蒔くのはラベンダーとカスミソウに決定。種を買って来た。
楽しみだ。色々と準備を進めよう。
ぬか漬けも結構継続できているなぁ。丸三ヶ月は続けていることになる。思いのほか続いている。これはぬか床が生き物であるためだろう。
覆水盆に返らず、と思うと緊張感が得られる。
私は追い詰められねば動けない。そういう性質なのだと思う。
自由や自然状態を希求しながら、できない。やらない。
命令されることを嫌うくせに、自分からは決して動かない。
それが私。なんとも人間臭いのう。
矛盾だらけで、でたらめ。
やはりメンタルを鍛えず対策をとってこなかったことは悔やまれる。
長年のひきこもりライフで強化されたバイアスと習慣はあまりにも強固だ。
どこにいっても居場所がないと感じてしまうし、こころは忙しなくオロオロするだけで疲弊してしまう。大して得られるものもないまま、徒に一日は終わる。
読書も音楽もやる余裕は最早ない。だから外には出たくない。という悪循環。
ふと気付いたのだが、自分の後悔の大半は「やらなかった」ということだ。
やって後悔したことというのは何故か少ない。失敗しても何か清々しい感じがする。
そして「やらない」を山積すると、それらしい成功も失敗もしないから、何も感じることが出来なくなってくる。感情的な不感というか。
だから、他者のことも理解し難くなってくる。そのギャップに悩んだり、時に腹が立ったりする。
レコードのパチパチ音が取れない盤がある。クリーニングをしてもダメだった。
恐らくキズが原因だと思われる。こうした盤をよく観察して「ダメな盤」を見極める目を養いたいと思う。
正直、私のようなレコード初心者は検盤なんかしてもよくわからない。だからレコ屋で状態確認させてもらうこともない。
今はその感覚を養う時期だと割り切って安いレコードばかり買っている。
当たりは単純にうれしい、ハズレも教材になるからうれしい。つまりどちらに転んでも幸せになれるのだ。
まぁ、お金が無いからそれすらもちょびちょび買っている感じなのだが。
金、大事。
でも「金の稼ぎ方」も大事。
等価交換が原則だ。何事も。
安いレコードといっても、いまのところヤバい酷さのものには当たったことはない。
多少のノイズがあっても音楽的にはさほど問題ないから、安レコ最高、という話。
高額盤には目もくれない日々。身の丈ライフを謳歌する。
以前より私は「安いものを買う」という買い方を大事にしている。
それはもっとも簡単かつ低予算で偶然性を引き込めるからだ。「よくわからないけれど、安いから試しに買ってみるか」という行動をとることで多くの知らないものに出会うことができた。
先日はオリビア・ニュートン・ジョンの安いレコードを入手して聴いたのだが、レコードに興味を持たなければ「フィジカルの人」「有名な歌手」程度の認識で終わっていただろう。
勿論、そうした買い方をしているとハズレを引くこともあるだろうが、思考の停滞を打破したい時にとてもよい。お手軽であるし。
問題は買いすぎるとスペースが無くなることだ・・・・・
収納グッズもスペースも結局は金で買う世界だからな・・・・
うむ、金、大事。
結局そこに戻ってくるんかい。
今回はここまで。
そろそろですます調で、かつ活気あふれる記事を書きたいなぁ。
と言い続けてどれ位の時間が経過したことだろう・・・・・
それではまた。