ネコと暮らすとネコに関して涙腺を緩くさせる「ほわっ」が知れる
ライフスタイルについてのレポ漫画を描かれている方で、しかも毎朝更新というのだから、すごい。つい読んでしまうのだが、とくにネコと暮らすまでの顛末に、我が家のことも重なり読み入ってしまった。
我が家には2匹のネコがいる。
べっ甲のレヴィと茶シロのコタである。
ネコと暮らしたいと考えたのは、いまの住まいに引っ越す前にさかのぼる。
当時住んでいたのは「The」がつくようなアパートで、部屋の間取りに不釣り合いな大きすぎる出窓だけが気に入って決めた。
とにかく保護猫活動が盛んだった地域で、大きな出窓をあけていると食事の匂いにつられたネコたちが集まってくるようなこともあった。
そんな中で、勇気をふりしぼって出窓から部屋へと入ってきてくれるようになった2匹のネコがいた。
まず入ってきてくれるようになったのはサビのラナコ、そのラナコに連れられてきたのがキジトラでドリルしっぽのイチである。
ラナコは朝晩に食べるだけ食べると外へ出たがったが、イチは日がなソファで寝て過ごすこともあった。
とくにイチ(いーくん、と呼んでいた)は部屋で過ごす時間がどんどん長くなり、腹を括ってネコトイレを買って帰った日から見なくなってしまった。
それからもラナコは毎日のように決まって朝と晩に訪ねてきてくれた。
ただ、もちろん「The」がついてしまうようなアパートがペット可の物件であるはずもなく。ラナコといっしょに暮らすにも引っ越す必要があった。
今度こそ腹を括って通勤時間が倍になる今の住まいへ越すことに決めた。
悩みに悩んだ末「ネコは家につく」という言葉を決め手に、ムリにラナコを連れて引っ越すことはしなかった。
ペット可物件に越した翌週のこと、妻の実家を引っ越しの報告がてら訪ね、そのとき窓から飛び込んできたのがレヴィである。
しばらくして、保護猫サイトで目が合ったのがコタである。
手のひらで包むようにキャリーへ入れたお迎えから1年、いまや小脇に抱えても持て余すくらいになった。
もう、家族だ。
最初にご紹介したレポ漫画の中で、とくに「10」は、ネコと暮らしている方には思うところのある内容ではないだろうか。
これは日常の風景にひそむ「いのち」の話だ。
でも本当は「出会う」もの、「選ばれあう」もの。
いっしょに暮らすと決めたとき、私も「うちの子だ」と口にした。
暮らすネコと出会ったときの、腹を括ったその、なるべくしてなった瞬間を見聞きすると涙腺が緩む。
その瞬間の、なにか「とにかくあったかいもの」を思い出すのだろうか。
その「とにかくあったかいもの」は、こちらでもあちらのでもない、ネコとヒトの間に、これから家族になるものたちの間に生まれるのかもしれない。
原初の感情のような、とにかく間違いなく何かあったかいもの。
得も言われぬ、その「ほわっ」とする感覚を肌で感じると泣けてしまうのかもしれない。あるいは老けて涙もろくなっただけかもしれないが。
ただ、この「ほわっ」を知っているかどうかというのは、もしかすると何かのときに絶大な力の確かな根幹になるような予感がある。
もう漠としすぎていて予感もへったくれもない気すらあるが、それくらいの説得力だけは秘めている。
たぶん。