その15 高校生活
高校に入学してからもいろんなことの連続だった。オカマといわれることはもはや日常になりすぎて何も感じなくなっていたが、毎回の集会、頭髪検査は嫌いだった。性を強調されるから。男だらけの空間で身体も固いからか長時間の体操座りもキツく、また足を崩すにしてもそのどちらの形でもいじられるし、髪型も眉もいじってはだめ、なんとも面白みのない空間だった。後に我慢できず1番後ろに座って参加することになる。消化が早く胃もなりやすいしなにより息苦しかった。
そんな男の性の障害は他にもあった。例えばトイレ。男か女で分けられているそれは私のような半端ものを困惑させ、周りもいじりの対象となった。男に入っても笑われるため授業中に行くことにした。
次に体育祭。男は分けられたチームでマスゲームという集団訓練のようなものをしなけらばならなかった。それも上半身裸で。人前で脱ぐことすら死にたいほどなのに、そんな生き地獄は嫌だった。綱引きなどの行事には参加したが夏の手術もあったため激しい運動は見学にしてもらい、2、3年の頃は放送委員として参加した。そこでは競技に参加しなくて良いのだ。欠席すると補習や内申に響き留年の可能性もあったため嫌嫌参加してた。
部活は最初友だちと剣道部に入部したがすぐに辞めた。それもノリと前に少し経験があったからという理由からだがなんと小学の頃に通っていた剣道サークルの先輩と講師がいたのだ。そこでの思い出は特にないがやはりむさ苦しい世界、そして留年して私と同学年だった先輩もいて、その人が偏見の塊で私を侮辱してきた。2年のとき同じクラスになる際も「オカマはいらん!!」など大きい声を上げてはクラスでも悪ぶっていた。しかしそんな彼も卒業間近に辞めていった。なにが理由かは知らないし興味もないが今の時代にはそんな選択もよいのかもしれない。
そして何より礼儀とか体育会系の上下関係とかよくわからずわりかし上手くやれてたし可愛がられてきたため、冗談で3年の先輩にオバサンと言ったことが波乱もよんでたみたいだ。そんな煩わしさからも辞めた。
次に入ったのは箏曲部。琴は中学の体験授業で経験もあり部員も私達の学年のみだったためやりやすかった。おっとりな性格の部長に常に冷静で毒舌をいう癖強めな女部員と3人で活動してた。特に毎日厳しい練習があったわけでもなく演奏会前や大会前に集まり練習しそれなりに楽しんだ。3年の頃は県大会で賞を頂いて国際交流としてハワイに渡米したがこの話は次回にしよう。
更に掛け持ちで演劇部にも入った。新一年生に部員がいたようで指導する人がいないとかで私が入部したがまるで先輩らしいことができなくて今でも申し訳なかったなと思う。
というのもまるで顧問のようにランニングさせたりしていたが自身はなにもせず、1年生のやりたいようにやらせることに次第になっていく。文化祭などの裏方などは努めたが私が表で何かをすることを拒んだのだ。過去の恐怖もあったから。それでも嫌なことを話したりする人は自然と学校を辞めていた。留年してたりしてプライドが勝るのか自ら去っていく。だから私はなんとか卒業までできた。当初はいつ心を病んで辞めるかとずっと考えていたから。集団生活も苦手だし、人付き合いも苦手、朝起きれなくて毎日遅刻してたし、成績も普通。そんな私でも高校を卒業できた。今でもよく卒業できたなと思うほどである。そしていろんな体験もさせていただいた。それについては次回にしよう。