生産性の無い図鑑脳の魅惑/たんかをひとつ
昔娘は図鑑しか読まなかった。それもよんでいるか分からないレベル。誰かと話したく無い時には、本を広げるといいよって教えからやすみ時間や学童で雨の日等は開いてみせた。
よんでいるのがわかったのは、散歩先の河川敷の雑木林から
小さなちいさなシジミ蝶が舞い出てきて
あちこちいるなと場面に遭遇した時だった。
あれは、〇〇蝶
あれは〇〇シジミ
あれは多分〇〇シジミ
と端から紹介を受けて、あ!そうなの?!違いがわからない、、、。じーーっと観察
みたいなタイミングが重なり出した日々からだった。
近くの市民農園や
学童の庭先でも博士振りを惜しみなく発揮し、下級生にたよりにされるまでになる頃には図鑑は専門的な海外の三冊目に突入していた。
あれからもう一年ちょっと経って、博士の片鱗は息を潜めている。発揮の場がなかなかないのだなぁとながめて、そんなときもあるよとみている。
父はそんな彼女を、生産性が全くないと言いがちだけれど、本意ではなく時代なのだろうなと感じている。
私は一瞬だけシジミ蝶に詳しくなって、また違うことを眺めたり、相変わらず散漫なんだろうな多趣味はなおらなくて
寒さが増してきてお篭りの時間に何をするかあれこれ話している
コトコト料理やお風呂屋さん巡り
冬野菜の韓国料理を勉強して再現したり
ちょっと色々な事が続いたのでお正月のご挨拶は事前に電話して皮肉屋の叔母にも手を回した。
叔母が元気に皮肉を言うと嬉しいのでつい、だいすきだよと言ってしまった。本音だからいいよね。
叔母は色々ビックリして泣いてくれたけれど、私を気遣ったり私をはげました。
叔父が亡くなってもうだいぶ経つのに、はじめてあった大学生の頃の叔母が私には鮮明だよと話して笑い合う。
時間はすぎていて、生産性はない脳のエリアは
思わね形で素晴らしく輝く事が多い
来年もそんな輝きが際立ちそうだな。
ふとした顔の、思惑の外にいる君がどこまでも遥か輝きがます
*
You who are out of sight, out of mind, out of mind, are far more radiant than you ever thought possible.
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今日も読んでいただきありがとうございます
ではまた