破壊された図書館
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボからです。Kako si?
図書館<オールド編>です!
Viječnica(City Hall)
シティーホール
ミリャツカ川沿いのオールドタウンに位置するこの建物は国の文化財です。ボスニア語のVijećnicaは、直訳すると市庁舎。日本で市庁舎というと行政事務をする「お役所」ですが、ここはほぼ、ミュージアムの機能を果たしています。「ほぼ」というのはこのnoteでお判りいただけます。
〇大学図書館の歴史
オーストリア・ハンガリー帝国時代にサラエヴォに建設された贅沢な建物です。1896年にオープンして以来、サラエヴォの行政執行場所となり、第二次世界大戦後はBiHの国立大学図書館となりました。
その後、1992年8月25日、26日の夜、サラエヴォ包囲戦中の焼夷弾砲撃により炎上。図書館コレクションの90%近くが焼失し、建物はサラエヴォ包囲と悲劇の象徴となりました。市民や図書館司書らは狙撃火の下で本を守ろうとし死者も出ました。オスマン語、ペルシア語、ボスニア語などの写本、シャリーア法廷台帳などバルカン半島の稀少本が1夜にして消滅しました。
〇現在はシティーホールとして
建物の再建は1996年に始まり、2014年正式に開館。
政府、コンサート、展示会等様々なイベントに使用されています。
そして、現在は図書館としての機能はありません。
1.サラエボ事件
1階にある展示室は、オーストリア大公フェルディナンドと妻ソフィアの記念の間になっています。悲劇に終わった夫妻のボスニア訪問は、この市庁舎を出発した後にラテン橋で暗殺をされています。
2.役所機能と展示
2階は議会室など行政の間になっています。
3.旧ユーゴ国際刑事裁判所の展示
その他はサラエヴォ包囲と旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)の活動が展示されています
そして、このシティーホールは
4.アートミュージアム
現代美術の展示も行っていました。見応えがありました
見どころ満載でやっとシティーホールの玄関に戻ってきました。
それでも、トリップアドバイザーや口コミに「図書館」と書かれているので、念の為、受付の人に伺いました。「図書館があると口コミで見たのですが、私、見落としましたかねぇ?」と。
受付の女性は笑いながら「昔、ここが図書館だったけど今はありません」との答えでした。
お食事🍚情報
ドーナツ、サンドウィッチ🍞
などを食べたいときは、このお店で買います。
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