その言葉は、必ずしも言語の姿をしているとは限らない、と著者は書く。
例えば朝日や雨や川の流れを私たちが見たり聞いたりすることで美しさ、充実、畏敬の念などを感じる時、それは万物が語る言葉である。
また絵画や彫刻や音楽など、人間が表現するものの中にも言葉がある。
そのような、言語の姿にとらわれない「言葉」を、著者は本書の中でコトバと書く。
コトバがあり、そしてまた哲学がある。
重要なのは、狭義の学問領域、静止した剥製のような哲学ではなく、常に生きている哲学であると著者は言う。
本書は、そんな真の哲学者たちのコトバを集めた一冊だ。
須賀敦子、堀辰雄、孔子、リルケ。
原爆の悲惨を、自らも衰弱と飢餓の中にありながら書き記した原民喜。
色の中に哲学を見出した志村ふくみ。
哲学者としてのブッダ。
彼らが人生を通して抱き、表現の礎とした哲学に光を当て、丹念にひもといていく。
著者の案内で、私たちは哲学者たちが紡ぎ出したコトバに手が届きそうなところまで肉薄する。それはあるいは切ない愛の告白であり、激しい慟哭であり、そしてまた、自分は人々に伝えることを求められている、という運命的な使命感である。
読みながらそれらを痛いほど感じる瞬間、私たちはまさに、彼らの残したコトバを生きる思いがするのだ。
じっくりと何度も読み、そうやって読んだ文章に自分の心が呼応することで、自分にとっての真のコトバが姿を表す。そんなふうに読みたい本だ。