『メグレと若い女の死』 ジョルジュ・シムノン
ルコント監督による映画化に合わせてだろうか、出版された新訳版で、初めてのシムノンを読んでみた。
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舞台はパリ。
午前3時過ぎ、仕事を終えたメグレ警視が帰ろうとしていると、女性の死体発見の一報が入る。
気になり現場の公園に駆けつけるメグレ。
雨に濡れた歩道に頬をつけて横たわっているのは、まだ二十歳にもならないような若い娘だった。持ち物はなく、寒い季節だというのに肩を出したイブニングドレス姿だ。
この娘は誰なのか、なぜこのような無惨な死に方をしなければならなかったのか。
メグレと同僚刑事達の捜査が始まる。
無駄のない進展とテンポの良い場面の切り替えで、ダレる暇もなく読み進めてしまう。
特徴的なのは、物語の終盤まで犯人の影が見えないことだろうか。焦点が当てられるのはもっぱら、被害者の若い女である。
彼女が着ていた安物のイブニングドレスを始発点に、メグレはその娘の像に迫っていく。
点と点が線で繋がっていく、その過程で浮かび上がる点はどれも、孤独な娘の悲しげな横顔だ。
巨体に着古したコートをはおり、目の下には常に睡眠不足でクマができているような、そんな少し疲れた姿を想像させるメグレ警視。しかし、その動かない表情の中で力強い目だけが鋭く光る様が思い浮かぶ。
その目は時に、そこにある現実から離れて事件の鍵が隠された情景の幻を追い、そしてまた、物言えなくなった被害者の埋め去られかけた心を見つめる。
賭博狂の母親との貧困生活から逃げ出してパリに出たものも、頼る者も器用な世渡りの才もなく、待ち構える死へと突き進んでしまった一人の少女の、その心にあったものをすくい取るメグレの洞察に胸が震える。
物語が進む過程で、登場人物の心や生き様を浮かび上がらせるように描かれた印象的なシーンが数多くあった。
印象が大きなところでは、メグレと共に事件を追う刑事のロニョンだ。
「無愛想な刑事」と呼ばれる彼は、常に自分は貶められ陰謀によって足を掬われていると思い込んでいる男で、メグレは彼の心を折らないように気を配りながらも、その真価を見抜き、複雑な心情を寄せている。
この人物がいることで、小説の奥行きがぐんと増していると思った。
他に、被害者の母親や、部屋を間貸ししていた未亡人など、登場シーンの多少に関わらず、メグレの目を通して語られるその人間像はどれも印象深い。
殺人事件を追う刑事物という大枠の中で、きめ細やかな人間への洞察が展開される、読み応えのある一冊だった。
次のシムノンは、『仕立て屋の恋』を読みたいと思う。