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「逃げる」という行為

先日、まとめサイトに13歳が投稿したという短文が載っていて
けっこう話題になってました。
調べてみると、意外に古いもので6年前の新聞記事にも載ってました。
短いので全文載せます。

逃げて怒られるのは人間ぐらい
ほかの生き物たちは本能で逃げないと
生きていけないのに
どうして人は「逃げてはいけない」なんて答えに
たどりついたのだろう

「逃げる」という行為……
これがあまりにもネガティブな意味を持ちすぎではないだろうか。
大人(親や教師)も、「辛いことから逃げるな」と教えてきました。
立ち向かえ、と。

しかし、そういう教え、教育はもう限界に来てるのだと思います。
「小さな逃げ」をすることで、なんとか精神の均衡が保てるのに
それを禁止されたら、結果、「大きな逃げ」(自死)をするしか
ありません。

僕はいろんなことから逃げてきました。
逃げ癖がついてるといっても過言ではありません。
もしかしたら、逃げないで何かに立ち向かうことで、
メンタルが少しは「強く」なるのかもしれないけれど、
そうならないかもしれない。
むしろ、最悪の結果を招く可能性の方が高い。
そう考えています。

昨日、職場で、「聞きたくない(知りたくない)」ことを
周囲の人が話していて、本当に耳を塞ぎたい気持ちでした。
あるいはその場から逃げるとか。
見ざる聞かざる言わざる、ではないけれど、
知らなくていいことは知らないでいいんです。
それは決して逃げではないし、(逃げでもいいのですが)
自分のメンタルの強さ(弱さ)は自分が一番知ってるのだから
自分が傷つくことは、知る必要などありません。

どんどん逃げましょう。

スポーツだとか、僕がやってきたギターの猛練習とかは
またちょっと意味が違います。
逃げない方がいい場合も確かにあるし、“結果”に
結びつくことも多いです。
だけど、心の問題は別です。
逃げたっていいんです。
心からそう思います。
「学校に行く」という行為も、いったい誰が決めたのでしょうか。
学校に行かないことは、逃げではなくただの「選択」です。
それを「逃げ」などというものだから、「逃げ」という
言葉の印象さえ悪くなります。
「逃げ」てもいいし、逃げは「選択」に過ぎない。

では今日も良い一日を!



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