人と比較し続けた人生から解放された今日までのこと【8】
33歳の今、人と比較することを辞める術を見つけて、人生で1番体が軽い。
今日までのことを、ここにつらつらと書いていこうと思う。
【1】はこちらから
ベッドから起き上がれないのだ。
どう頑張ろうとしても、寝ている間に磔の刑にされたのかと思うほど体が動かない。
呼吸が浅い。
苦しい。
なんとかスマホに手を伸ばし、横たわったまま会社に連絡をした。
「体調が悪いので休みたい」
二つ返事でOKだった。
あれだけ働いていたのに、私はまたもやなんの役にも立っていなかったのだ。
その日は、ただただ天井を眺めていた。
翌日、なんとか体を起こして駅に向かった。
外は肌寒く、風の強い日だった。
目の前がグルグルと回り出した。
まともに歩ける状態では無かった。
大きな音で耳鳴りがしていた。
やっとの思いで会社に到着し、PCを開いても、目は回り続けた。
ページをスクロールした瞬間、嘔吐した。
病院に行くと、メニエール病と診断された。
少し前から耳鳴りやめまいは気になっていたが、突然酷くなったようだった。
平衡感覚を失い、まっすぐ歩けなかった。
「いつかホームにでも転落しますよ。休んでください。」と医師が診断書を渡した。
休職して、何日も眠り続けた。
起きてもただ天井を眺めていた。
私は小さい頃から落ちこぼれだった。
それは、何歳になっても変わらなかったのだ。
私は家族についていけなかった。
「劣勢遺伝子」
遠い昔、姉に言われたその言葉が耳の奥で響いた。
家族の中で、唯一、一重瞼の私。
私はどこまで「劣勢」なのか。
遺伝子から間違えているなら、なぜ生まれてきてしまったのか。
姉はどうして全てを持っているのか。
せめても他人であればよかったのに。
兄はあれだけ自由奔放に過ごしてきたのに、なぜすぐに社長になれるのか。
SNSで見る友人たちはとっくに皆結婚し、子供との幸せそうな写真をあげていた。
私は結婚もできず、恋人すらおらず、上京してきたものの仕事も上手くいかず、貯金も底をついた。
私が何をした?何をしなかった?
何もしなかったわけではないはずだろう。
自分なりに、もがいてきたはずだ。
それなのに、この手に何もつかめなかった。
もう、生きることを辞めたい。
「消えたい、消えないといけない」と思った。
強迫観念のようなものだった。
そこから毎日「迷惑をかけない 死に方」を検索していた。
そんな死に方は見つからなかった。
「死んではいけない」そうも思った。
こんな私だが、私は父からも姉からも、愛されていることを知っていた。
死ねば、彼らが自分を責めることも知っていた。
だから、死んではいけないのだ。
人に負い目を感じさせてはいけないのだ。
そう思えば思うほど、だめだった。
「価値がないから、消えないといけない」と思う自分と、「人に迷惑がかかるので、死んではいけない」と思う自分の間で、今にも体が引き裂かれそうだった。
泣き止んでくれない。
容姿を人前から隠された幼少期の私が
ドン・キホーテの前で膝を抱えている10代の私が
大好きな仕事を軽んじられた日の私が
絵の具を捨てた日の私が
体を弄られても苦笑いしかできなかった日の私が
愛する人を失った日の私が
泣き止んでくれない。
呼吸が浅くなる。
苦しい。
気が付けば、親友に電話をしていた。
何を話したのかは覚えていない。
翌日、親友は私の家にいた。