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知らないとヤバい⁉素が出せない⁉素がない⁉人が増えてきている!?
素を見せない⁉人が増えている!?
求められるポジションで、求められる演技をする人ってめちゃくちゃ使いやすい。
管理職としては、自由演技でかき回されるより、規定演技できっちりこなしてくれる方がやきもきせずに、ストレスもたまらない。
自由演技をすると加点してくれる場合もあれば、減点されてしまう場合もある。
俗にいうホームランか三振かという状態になってしまう。
素を見せない人が増えているのは、最近増えてきている。
モヤキャリ相談室やとなりの雑談にお越しいただいている相談者の皆さんが、「怒られたくない」「失敗したくない」「炎上したくない」「目立ちたくない」ということをおっしゃっていたのが特徴です。
深掘りをしていくと、素を出すことによっていいことがないという人と、素がないことをバレたくないという人にわかれることに気づきました。
SNSで発進をするときに、半径5メートルのネタや同系列のネタ、仕事ネタなどをずっと書いていると飽きが来るので、インプレッションが悪くなるといわれています。
10のうち、8は同じネタでいいんだけど、2ぐらいは素を出していった方がいいということを言われる。
ギャップがあることはもちろんですが、親近感がわくことになりより身近に感じることができるのはもちろんですが、ちょっと角度を変えることで新鮮味が増してくるといわれています。
素が出せない傾向として、「こういうレッテル張られたくないなぁ」というのが根本にはあるんじゃないかと、相談にのっているうちに気づくことがありました。
何気ない一言なんですけど、「〇〇さん、最高って言っているけど…心の底からそう思っているの⁉」とか、「〇〇さん、楽しい!ぅて言っているけどさぁ~…心から楽しんでいるように見えないんだよね」というように言われてしまう。
このような言葉を言われてしまうと、素を出せなくなってしまうんですね。
素がないことをバレたくないということで、必死に小手先のテクニックを使ってごまかそうとしていたり、因果応報ではありませんが、こういう時はこういうリアクションをするというようなパターン化された知識が頭にあって、常に最適解を探してしまっているのかも知れない。
小手先のテクニックだけだと不安になる
どこまで自分の意見を出すべきなのかということを常に考えている。
小手先のテクニックと心と身体を見られていると不安で仕方ない状態になっていく。
だから、最適解の行動をとってしまって、やりこなすことで精いっぱいになってしまう。
素を出すことで素晴らしい素はそんなにない。
かわいげや色気につながる素はあったとしても、人間臭さを出しているだけである。
人間性は高めていくけど、人間味は厚みを出すものであり、相反している関係性になっているのかもしれない。
人間だから素はあるはずなのに、ないといってしまうのはなぜだろう⁉
素がないのではなく、大したものがないということで、人間的、魅力的な素がないということにつながっているのかもしれない。
周りを見渡すとすごい苦労している話があったり、複雑な家庭環境があったりすることが多く、何か想像もしないようなことを楽しそうにずっとしていたりする。
選ばれた人間のとる行動や環境があるけれど、それが見当たらないから、素がないということをいっているだけかもしれない。
人間としての魅力や奥行きがあるから、いろいろな人が応援してくれることになるのに気づいてほしい。
こんなエピソードや経験が面白いとか、ストーリー性があるとは思わないということで、記憶のかなたにやってしまうことが多い。
言葉を紡いでいくことが自己分析になる
どこまで素を出せるのかどうか迷っているときに、何を言おうがどうしようが覚悟ができているかどうかがそこにはありそうだ。
覚悟ができていれば建築でいえば基礎工事が出来上がっている状態だからこそ、その上に建物を建てることができるようになる。
しかし、覚悟ができていないのであれば、軟弱な土地に基礎工事もしないまま、建物を建てるようなものであり、ちょっとしたことで崩れて無くなってしまう。
人として覚悟があったうえでの行動というのはすごく熱量も伝わってくるし、人が感じることができる。
そして、その下支えとしてセルフブランディングがうまくいっていれば、それをうまく利用していくことで、素が出てくることになるでしょう。
例えば会社の上司と部下の関係で40代の上司が20代の部下からレクチャーを受けるとしたときに、「ちょっと、俺わかんないんだけど、きいてもいいっすか~」といわれるのと、「ちょっとわかんないんだけど、教えてくれない」という聞き方では反応が違ってくるだろう。
前者であれば、フラットな目線に立って話を聞かせてほしいというイメージが出てくるけれど、後者であれば上下関係があったうえで、依頼をされている。
素が出ているのは前者ではないだろうか。
語尾が伸びることによって、自分に見切りをつけているように見える。
正義について話をしよう!
どうしても組織にいるとそこにはルールがあり、常識として思われていることが多い。
例えば独自のスクープを獲得するために、人間関係を構築して、信用と信頼を得て獲得した情報で「〇〇さんが明日逮捕されるようです。」ってニュースがあるけど、何で今逮捕できないんだろうと思ってしまう。
現場にいる記者や報道関係者が捜査関係者との人間関係を作り上げて得られた情報かもしれないけれど、明日のことをなぜ今という疑問もある。
最近ではいろいろな有名人が正義をかざしてきている人たちに対して、答えている部分も多くSNSで見かけるようになった。
テレビ局などでは、視聴者からのご意見、ご感想を番組担当をしている制作者、演者が見ていることが多い。
誹謗中傷のようなコメントがほとんどで、戦々恐々としながらそのコメントを見ている。
何でそうなったのかはよくわかりませんが、妬み、嫉みというものについては、自分のランクまで相手を下げてきている行為であり、ただ悪口を言っているだけであるということに気づいてほしい。
一挙手一投足に注目をして、ここが癪に障ったとか、ここで噛むのはプロ失格などといっているけど、言いたいことも言えない世の中になっているから、ネットという個人を隠しているところでストレスのはけ口にしているのかもしれない。
面と向かって言うことによって人間関係に亀裂が入ってしまうこともあるため、言いたいことを言えずにいるのが現代人なのかもしれない。
会社や組織の中で素を出すことができないことにもつながってくるから不思議である。
仲間外れになりたくないから、いい子を演じなきゃいけないし、小手先のテクニックでいろいろな知識を身につけるけど、実体験で経験をしていないから、知識のメタボリック化が進んで、自分には何もないという人が多いのかもしれない。
組織にはヒエラルキーやカースト制度のようなものがあるので、ちょっとしたことでランクダウンということになると、その組織の中では生きづらくなっているのかもしれない。
どうしても人は演技をするということに対してはストレスを感じやすくなってしまっており、演技をし続けることによって、心身衰弱状態になっていくのかもしれない。
だから、SNSのアカウントを複数持って、サブ垢とか鍵垢というものができてきて、嫉妬についてや恨みつらみについては、そちらで吐き出す人も増えている。
いいたいことがいえないこんな世の中だから
時代は臭い物に蓋をするのではなく、共感と等身大のマーケティングになっているため、どうしても周りの目を気にしている。
周りの目を気にしているから、素の自分と、SNS上の自分のイメージに乖離が発生してしまうことになり、SNS疲れが発生してしまうのも事実である。
SNSで発信をし続ける覚悟も必要ですし、言葉だけを切り取られてしまって、勝手に拡大解釈をされてしまって、煙がたち始めていることなど多くなってきています。
ブロック機能をうまく利用する方法も1つではありますが、ブロックをすることによって火に油を注ぐケースもあるため、取り扱いが難しいのが現状です。
考え方の多様化する時代ではありますが、自分の価値観で判断することってすごくリスクが高い事であり、それを押し付ける時代ではありません。
もちろん100人いたら100通りの考え方があるわけで、それを受け入れる余裕を持っていないといけないかもしれません。
精神的に疲れたらIT断捨離をしておけばいい。
時間が経ってから戻ってきていい。
自分が楽しいと思ってやっていることについてはどんどん自信を持ってほしい。
他人の目を気にしていると言いたいことも言えなくなってしまうし、自分自身の中でストレスが溜まってしまうことになるから。
戦略的にSNSを使いこなしている人なら、その戦略に沿ってやっていくことが望ましいことですし、自己表現についてはいろいろな方法があるので、試行錯誤しながら、自分自身のやり方を確立してほしい。
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