【エッセイ】はじめて詩を書いた日
私が生まれて初めて詩を書いたのは、高校2年の春だった。あの時の私は毎日が「ズタボロ」。今でも思い出せる生々しい気持ち、でもあんまり思い出したくないーそんな複雑な思春期後半を過ごしていた。
高校1年の春に入部した演劇部や弓道部は1ヶ月も経たないうちに一気に止めてしまい、心機一転作った友達とも木っ端微塵に縁を切ってしまっていたー。青春盛りの高校生が、何故こうなのかー。
思い出す、私は片っ端から人を信じることが、出来なくなっていたのだったー。
いじめの多い中学校時代を経て人間不信に陥り、もともとが繊細でHSP気質の私は、ヒステリー球(※何も詰まっていないのに喉に何かが引っ掛かった感覚)や離人感(※テレビを見ているような現実感のなさ、ここに自分が居ない気がする感覚)を引き連れるようになっていた。そして、そんな気持ちに共感してくれる人はおらず、進学や勉強、友達、総てがどうでも良くなっていたー。しかしながら、切なる父母の願いでどうにか高校という場所へ流れ着いた、あの時の私は、ボロボロ☆ズタズタの塵芥にまみれた漂流物☆彡だった。
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生理用ナプキンを変えずに、ずーっと冷たい不快感を持ったまま、誰にも言わず、ああやばい、いつ変えよう、漏れてきた、ていうかナプキン付けてなかった…生きてることさえ誰にも誰にもバレないように、こーっそりと生きていた、自分の存在に強い罪悪感を持っていた、あの頃ー。一人になりたい時は、トイレで弁当を食べた。(割と美味しかった)
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こうして、どうにか“漂着”しても、“生理用ナプキン”自体を変えたわけではなかったから、不快感は勿論変わらず、私の足元は経血だらけの血まみれ状態。毎日を一刻も早く使い捨てたい、疲れ切った重いナプキンを取り払いたいー。そんな気持ちで息を上がらせ、日々を生きていた。
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けれど、そんな「ズタボロ」にも親友が居た。あ、ヒステリー球と離人感のことー?そう思ったでしょ、いいえ!それはね!何を隠そう、“電子辞書ちゃん”。授業中、私はいつもこの電子辞書ちゃんをノートパソコンみたいに開いて親しげに筆箱の横に並べて置いた。数学や家庭科の電子辞書の関係なさそうな授業でも、何時でも何処でも私達は向かい合っていた。電子辞書ちゃんと自分の関係を、南くんの恋人で、シャツのポケットにちよみちゃんを入れて登校していた南くんと重ねて、思い起こすこともできるほどの仲良し。そして、電子辞書ちゃんは薄暗い画面から見たことのない珍しい言葉や文字を浮び上がらせ、死にそうになっている私にそれを見せて(魅せて)、いつもどこでも生を蘇らせてくれた。お?こんな素敵な言葉がある、あれ?もしや、私にもまだ生きている価値があるかも…?そうやって、私の世界を少しずつ押し広げてくれた電子辞書ちゃん、ありがとう。例えばマーガレットは【木立ち加密爾列(かみるれ)】とも言う。嗚呼、馬鹿げた、別名!!!おっけー!!!人生、捨てたもんんじゃないー。
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しかしながら、おっけー!!!も束の間、人生は甘くない。人は、友達は、先生は、信じられないー。それが現実の私だった。誰かと仲良くなっても、どうせまた裏切られ傷つけられるー。電子辞書ちゃんが魅せてくれる言葉の世界は夢か現かー。
一度心に決定してしまった【不信感】を私はずっと拭えずにいた。
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そんな中、私は閉じ籠もった自分の殻の中で、密かにもう一つ心に決定していた【願い事】があった。それは、人と関わらずして=一人でもできる=自分だけの【感覚の表現方法】を見つけたいということー。自分を生かしてくれる“何か”を強く渇望していた。
そして、私はそのズタボロ生活の中でも這いつくばりながら、ある時は「落語まる齧り部」と名付けて文化祭で落語をしてみたり、傍らではピアノ教室で自作の唄の弾き語りもしてみた。それでも、ズタボロ、ズタボロ、、、軋む音は刻一刻と大きくなってくる、、限界は、近いかも知れなかった。いつまでもいつまでも、地に足がつかなくて苦しい。落語の中では桂枝雀を必死に真似て「うどー))ーーーゎ、ゎん(うどん)」と大声を張り上げてがんばってみたけど、これが本音だった。
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はじめて「詩」と呼べるものを書いた時、それは、熱がスーッと下がったかのような感覚で「ズタボロ」生活からこびり付いた垢が抜け切った瞬間だったと言える。
高校入学から、かれこれ1年が経っていた。
殻に閉じこもりながらもこの状況を打破したいとあまりにも願い続けていたからか何なのか、ポッと、突然悟りが開けたかのように、はじめて心が自分の人生を受け入れ全身に納得感が立ち籠めはじめたー。霧が晴れ雪が溶けるー。もう訪れないと思っていた春が突然私に微笑みながら訪れ、長い冬眠生活が終わろうとしていた。それが高校2年のある春の日。呪縛から解放された、朗らかな気持ちー。
いつもなら気に留めもしない隣の席に座る丸い背中でこっそり授業を受けているちょっと猪に似た真面目な男の子ー。その子がふと、机の横に掛けていた弁当箱の包が揺れて崩れるのをとても気にかけ大事そうに庇っているのに気づいたー。なんと、その、いじらしさ、よ。冬眠明けの私は、そんな些細な何とない光景に感動し大袈裟ではなく自然と感情移入することができた。今思うと、あの時、私の思春期の第一幕が終了したんだと思う。色んな気持ちが融解しては混ざって、私全体が大人になれた、そんな瞬間だったのかもしれなかったー。
そして、その時の詩を、徳島新聞のヤングカルチャーという若者向け紙面にある「ポエムランド」と呼ばれる詩壇へ投稿した、それが私の詩を書くことの、はじまりだったー。
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今の私が生きているのは、あの時、この投稿作を紙面に載せてくださった詩人の清水恵子先生のお陰だと、これがなければ、私はあのどん底の日々から抜け出すことができなかったと、ずっと子供のまま泣いていたかもしれなかったと、先生様には命丸ごとの感謝をしています。
はじめてつくった詩『弁当』
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あかきみどりむらさき
2024ねん