すこし愛して
すこし、愛すること、について考えてみました。
きっかけは、BRILLIANT_Sさんのつぶやきで紹介されていた言葉でした。
「彼と幸せでいたいのなら、彼を深く理解し、少しだけ愛すこと。彼女と幸せでいたいなら、彼女を深く愛し、彼女を理解しようとしないこと」
ヘレン・ローランドの言葉
私は女なので、女の立場でみると「少しだけ愛する」という部分が気になります。
少しだけ愛するとはどういうことで、なぜ推奨されるのでしょうか?
一昔前に、ウィスキーのテレビCMで「すこし愛して、ながく愛して。」というキャッチコピーと、大原麗子が演じる女性のかわいらしさが話題になったことがありました。
いきなり結論から言ってしまえば、女は「少しだけ愛する」ことなどできないと思います。
長く愛し続けるためには、蛇口を絞って流れる愛の量を細くした方がよい?
そのような蛇口は存在しないのです。
だからCMの中の大原麗子さんは、キャッチコピーとは裏腹に男を全力で愛し、想い乱れて翻弄されて、その姿が共感を呼びました。
人を好きになるとつらい、という経験は恋愛につきものだと思います。
こんなにつらいなら、好きな気持ちをセーブしたい、相手と自分の愛の量を同じにしたい、などと駆け引きしてみたり、本心とは裏腹な行動をとってみたり。
待ち続けた長い時間、想いの量に対して、触れ合う瞬間の短さ、交わす言葉の少なさ、気持ちの伝わらなさ、その繰り返し。
自身の想いに疲れてしまい、もうやめよう、と一人相撲。
そうならないための「すこし愛して」なのでしょう。すこしずつ愛せれば、息切れしないで長く愛せるのではないか?けれど蛇口があるわけでもなく。
これは、逆なんだと思います。
すこしにしておいた方がいい、とセーブした分だけつらくなる。
それならばと無尽蔵に愛を流し続ければ、やっぱり愛は枯れてしまうのです。
愛を枯らさない方法は
愛を供給すること。
雨雲が、雨を降らしながらも地上や海上の水蒸気を吸い上げて膨らんでいくように。
私は女なので男の考え方は想像するしかありませんが、冒頭の名言が名言であるということは現実はその反対であるということなのでしょう。
つまり
女は
彼を理解していない
愛が重い
男は
彼女を彼女が望むようには愛していない
彼女を理屈で理解しようとする
こんな感じでしょうか。
なんだか永遠に噛み合わなそうですが、この噛み合わなさを理解して愛することができれば、愛は雨雲のように循環して、永久機関になれるのかもしれません。