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終わりの前に

「大好きー!」「私も大好きー!」 小学生の頃からの友人と、鎌倉の小町通りで、こんな照れくさいやり取りをした。 9月の、まだまだ夏といえるくらい暑い日。 一日の終わりを感じとれる、日が落ちる頃。 気恥ずかしい気持ちよりも"言っとかないと"が勝った。場所なんて選んでる場合ではなかった。 話の流れの詳細はおぼえていないけれど、今って今しかないよね、この時間って当たり前じゃないよね、明日どうなるか分からないよね、なんなら今日が最後になるかもしれないよね、みたいな、非現実的なよう

    • あたしが死んでも

      「あたしが死んでも日記は開かないでね」 という歌詞を偶然聴いた。大共感した。 その曲はかわいい女の子のかわいい恋心が描かれているものだから、"曲"というよりも本当にそこの部分、ワンフレーズに頷いた。 日記を書き始めたのは2年前くらいかなあ。 線もなにもない、ごくシンプルなリングノートに、今日あったこと、行った場所、見たもの、買ったもの、心動かされた言葉、大切な人のこと、仕事のことなど、特にテーマは決めず思ったままを書いている。 「今日は気分がいい!」ではじまる日もあ

      • 天使が舞い降りてきた日

        沼にハマった。 そんな言葉を見る度に、それはどういう感覚なの?沼にハマるって?ひとりの人から抜け出せないって何?とか思っていた。 そのくらい、すがすがしいほどに、推しというものに無縁だった。 恋人でも友人でも、だとしたらもちろん芸能人でも、"この人しかいない"という感情になったことがない私からしたら、理解が難しかった。 理解できなかった訳ではない。難しかった。 そんな私が佐野雄大くんという推しと呼べる存在に出会えたのは、偶然かもしれないし、必然だったような気もしていま

        • 私の家族の話

          先日姪っ子が生まれた。小さめに生まれてきたらしい。 離れて暮らしているからまだ会えていないけれど、写真だけでもたまらなく可愛い。 いつの日かアルバムで見た赤ちゃんの頃の兄にそっくりで、命が繋がるってこういうことなんだねと思った。 お兄ちゃんたちはどんな家庭になるのかな、天然で優しいのかたまり(むしろそれしか取り柄がない)お兄ちゃんの序列は最下位だろうな、奥さんに似てしっかり者で美人な子が育つのかな、と勝手ながら想像したりした。 ある程度想像し終わると、自分の幼少期どうだ

          東京生活4年目らしい

          「自立したいです。ひとりで生きていく力が欲しい。」 中学3年生の卒業間近、今後の目標みたいな作文で、こんなことを書いた。その頃から"東京へ出てひとり暮らしをする"という道がなんとなく、自分の中で見えていたのかなと。 高校2年生のときかな、コロナ禍で、私は何も進めないのに時間だけが過ぎていく地獄みたいな期間があって。 私は止まったら死ぬの?ってくらい、進んでいたいし、考えていたいし、成長し続けていたい人だから(それが楽しくて生きがいです)、どうもこうももどかしかった。 だか

          東京生活4年目らしい