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【エッセイ】アラサーの友達関係。混色の楽しさ。

人にはそれぞれ色がある。
コミュニケーションとは、お互いの色を混ぜ合うこと。

担当カウンセラーより

もういくつ寝ると、春が来ると思いを馳せ向かった冬のカウンセリング。
小学生からの友達になにか特別な気持ちを抱いていた私は、相手の行動に一喜一憂してはカウンセラーさんに「相手がなんでそう言ったのかわからなくて、理解したいんです」と話していた。
そんなときに言われたのが色の話だ。

「あなたが白、相手が青だとして、あなたは今青になろうとしてませんか?お互いの色を混ぜあって、水色にしていくのがコミュニケーションです。あなたは白なのに、相手の色になろうとしたら辛くないですか?」 

カウンセラーさんが言っている言葉の意味は理解しても、感覚としてはわからなかった。
今まで私にとっては、相手の色を受け取るのがコミュニケーションだったからだ。

***

私の母は私に対しては過干渉だった。
母の干渉に反発した姉とは度々衝突していたが、それを見て反発は無意味だと感じて言うことを聞くようにしていた私が可愛かったのだと思う。
服が好きな母は私をきせかえ人形のようにしていて、私が服を選ぶとおかしいと怒った。将来は看護師にならなきゃだめ、看護師免許を採るまで自由にさせないと言い、私の志望校を却下し、頭が悪いからこの学校には行けないよと強く否定していた。
父親の愚痴を私にぶつけては、優しくていい子だと褒めた。

中学生当時の私はなんとなく、私は人の受け皿になり、支えることが役割なんだと感じていて、それは友達関係にも反映されていたように思う。
友達の悩みを聞き、いじめられてる人を仲間に入れたり、嫌なことをされても腹が立つこともなく、相手が悪くても自分のせいでもあると自分を責めて変わろうと自己啓発をした。
受け身であることで怒られたことはあったが、人と衝突することも少なく、適度に友達に囲まれて過ごしていたので、自分の役割に疑問を持つこともなかった。

***

対人関係の考え方が変化するまでにはたくさんのきっかけがあった。
双極性障害と診断され、診察、カウンセリングを受け、カサンドラ症候群、アダルトチルドレン、機能不全家族という言葉を知り、就労移行支援に相談して、実家を出て1人の時間を過ごして…
ここまで来るのに6、7年はかかっている。(まだまだ変化の真っ最中だ。)

色の話に戻る。
母から「この色でありなさい」と言われることに対してははっきりと「NO」が言えるようになっていた私だが、友達のことが大好きなあまり、変わった自分を見せて嫌われたくない気持ちが強く、古くからの友達に対しては、相手の色を受け取るばかりで、「私の色を混ぜて」と言えなかったし、言うことに対して不慣れだった。

最近の話だ。
きっと自分の色を変えたくないのであろう人に対して、私の色を混ぜてほしいと不器用に伝えてしまい、私の色を強く否定された。
私は「人の色を否定するなんてひどい」とずっと怒ったり悲しんだりを繰り返していて、色を混ぜたいなんて思わなきゃよかったと思ったりもした。

なんかみんな勝手すぎる。と拗ねていたのだ。

***

学生時代の友達3人とは3ヶ月に1回ペースで会っている。
学生のときのように、みんなでカラオケをしたり、ボードゲームをしたり、ファミレスで喋ったり、気兼ねなく遊べる仲だ。
私含めみんなオタクで、順番に語り、布教しあう。
最近はたまに健康の話もするようになったり、年齢による変化もあるが、基本昔と変わらずエネルギッシュで自由な空間で、居心地が良い。

でも、会えば楽しいんだけどなぁ。ちょっと前まではそんなふうに思ってた。
というのも、みんな遅刻癖があったり、前日まで集合時間や場所が決まってなかったり、グダグダな部分があり、会うまでがスムーズじゃないのだ。
幹事をやってもまとまらず、幹事って大変なのに誰も協力的じゃない!乗り気じゃないのかな?と思い込んでいた。

昨日の話だ。
元々昨日に遊ぶ約束をしていたのは学生時代からの友達だったのだが、急に遠方からフォロワーさんが来ることになり、私はどうしても会いたかった。
学生時代の友達は3ヶ月に1回会えるから今回は別日にずらしてもらえないか聞いてみたのだが、予約していたカフェはキャンセル料がかかるらしく、結局午前にフォロワーさんに会い、午後から学生時代の友達とでかけることにしてもらった。

なんだか優先順位をつけられたみたいで嫌だよなぁ、最初から先に約束した方を優先すべきなのに。と後悔し、お詫びにフォロワーさんと食べたカヌレをテイクアウトして持っていった。
慌てて向かって合流してすぐ、「ずらしてもらってごめん!お詫びにカヌレ買ってきたけど食べれる?」
そう伝えたら、「やったーカヌレ!気にしなくていいのに〜!」「むしろ午後からのほうがゆっくり眠れて良かった!」と、気にしていない様子だった。
なんだ、そういうことでいいのか!と視界がクリアになった。

私のわがままも、相手の遅刻癖も、そのままでいい。
きっとグダグダな約束もそのままで良くて、私はやりたくなければ幹事をやらなくていい。
私ばっか話聞いてるなと思ったら私も話したいことを話せばいい。

周りが自由に自分らしく振る舞っているように、私も自由に自分らしく振る舞えば、お互い様になれる。
こうあるべきと型にはめた関係であるより、のびのびと過ごせる関係になれると気がついたのだ。

一方的に色を受け取るだけより、混色するほうがずっと心地よかった。
もっといろんな色を作っていきたいと思うようになった途端、世界が明るく見えた。

他の人から見たら当たり前なことかもしれないけど、私は実際に体験することでかなり身軽になった。
私の中で、丁度いい落としどころを見つけた日で、宝物みたいな日だと思った。

ひとり暮らしをしていると思考が凝り固まってしまいやすい方なので、人と会って刺激を受けることも大切にしていきたい。


***

色を混ぜるのが楽しいと思う人、自分の色のままでいたい人がいる。
そこに優劣はなくて、どちらも尊重されるべきだ。
それに対する相手の考え方を知り、距離を考えた人間関係を築けていけたらいいなと思う。

上手く書けている自信のない、私の中での丁度いい落としどころの話。

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