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生きづらさを抱えたおばけたち

年々、生きづらくなるおばけたち

知り合った女の子がホラー好きだとわかり、私のアパートで映画を観ることになった。

彼女は結構な本数のホラーを観てきたらしいのだけれど、『リング』という古い名作ホラーを観たことがなかったと知り、じゃあという感じでサブスクで一緒にリングを観た。

話自体は純粋なホラーというより、民俗学要素を組み込んだ、意外に奥行きのある映画だったのだけれど、20〜30年前の映画を観ながらお互い思ったことがあった。

「この映画のホラー設定、現代では色々と通用しない部分があるよね」

リングは「呪いのビデオ」がテーマになっていて、ビデオを見た人間はビデオをダビングして他の人間に見せなければ死ぬという設定だ。けれど、最近はビデオ自体がほとんどない。大抵はサブスクだし、「呪いのビデオをダビング」は怖いが、「呪いのブルーレイをダビング」はあんまり怖くない。あるいは「呪いのメール」は怖いけれど、「呪いのLINE」は怖くない。「呪いのカセットテープ」と「呪いのAppleMusic」もしかりだ。

また、リングでは掟を破った人間はTVからおばけが出てきて呪い殺されるのだけれど、最近はTV自体がない家も多い(私もその一人だ)。

二人して思った。変な言いかただけど、おばけの皆さん、年々生きづらくなっているのでは?

人生で最も怖い話

ちなみに私が今まで聞いたなかで一番怖かった話は、20年ほど前に中学生の友人に起きたとある出来事だった。

それはとある休日に、2階建ての一軒家に住んでいた友人が1階のリビングで一人で留守番をしていたら、突然2階から内線がかかってきた。というものだった。

その話が私が聞いたなかで一番怖い話だった。でも、今は固定電話を置いていない家も多い。2階にも固定電話がある家のほうが稀だろう。

最近のおばけは、「内線」という技がもう使えないのだ。

うん、やっぱり、最近のおばけは生きづらくなっている。かわいそうに。電話をかけてくるおばけの「メリーさん」も、今は誰も非通知でかかってきた電話は取らないよ。

ーー人間の生きづらさが常態化して久しい。私と女の子も、ときどき生きづらさについて話すことがある。でもそれは、生きづらさがデフォルトとなった世界でどう立ち振る舞うか、みたいな話だった。それは全部生きている人間についての話だった。

おばけも生きづらくなっているとは思ってもみなかった。

その日の夜。私と女の子は私のアパートで一緒にご飯を食べた。男女が2人きりで、夜にソファで肩を寄せ合って食事をする。お酒も飲む。女の子が私の肩に頭をのせてくる。そのまま「外寒いし帰るの面倒だからもう泊まってもいい?」と聞いてくる。私の家にはベッドが一つしかないと知ったうえでだ。

しかし、そのシチュエーション=キャキャウフフできるとは昨今では特にならない。彼女はただ純粋に私の家に泊まりたいだけかもしれないのだ。

二人でベットに入る。その数分後、隣からすやすやとした寝息が聞こえてくる。やはり彼女は純粋に寝床を求めていただけだったのかもしれない。

私は冴えた頭で天井を見ながら、ホラーではいつの間にか後ろにおばけが立っているという手法が定石だよなとぼんやり考えていた。

遠い未来、人間の機械化が進み草食動物みたいに視覚がほぼ360度視界になったとしたら、「背後に立つ」という手法もおばけは使えなくなるのだろうなあ。

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