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「無意識」という言葉を使えばだいたい勝ててしまう問題

「普通は〜」という言葉はできるだけ使わないようにしておりまして。そもそも皆の「普通」は違っているし、それがまぁまぁ世の中に浸透している気もします。

「かわいそう」も、言われた相手が全然そう思っていなかったら失礼なので使わないようにしております。でも「無意識に」の力は、まだそこまで浸透していないこともあって、つい使いたくなっています。すごく便利なのだもの。

とある作家が本の解説欄に「フロイトが無意識を発見して以来(私はそれは発見ではなく発明だと思っているのだが)〜」と書いているのを以前読んだときは、無意識とは元々あったものだからそれは発明ではなくやはり発見な気がすると思ったし、今も変わらないのだけれど、「無意識という言葉を使った話しかた」は発明だよなぁと思う。

たとえば誰かを攻撃するとき。「あなたは無意識にこういうことするよね」と言われたら一気に劣勢になる。無意識を意識することはできないので、「無意識論法」は常に死角からの攻撃なのだ。

私とて誰かから「無意識に〇〇するのやめて」と言われると、身に覚えがないからこそ「ごめんて」と思う。けっこう反射的に思う。

あるいは自己弁護をしたいとき。「ごめん、本当に悪気はないんだけど無意識にこういうことをしてしまっていた」を言われたら、怒っているほうは少し気を削がれる。

「悪気がないからといって許されるわけではない!」という角度では怒りやすいけれど、「無意識を意識しなさいよ」という攻撃はぱっとは出てこない気がする。

「無意識論法」は攻撃でも防御でもつよつよなのだ。

特に攻撃の場合はより強い。「気づいていないみたいだけど」という枕詞がついたときは最強だ。

「気づいていないみたいだけど、あなた無意識に自分を守ろとしているよ」
「気づいていないみたいだから言うけど、無意識に相手を攻撃しているよ」
「気づいていないの? あなたって会話の最後に必ずその人の悪口を言うんだよ、それも無意識に」

などと、もし言われてしまったらしゅんとなること確定だ。

でも「無意識論法」の危険性はまだそこまで浸透していないみたいだし、だからこそ便利すぎてついつい使ってしまいたくなる。つらい。

無意識、こわいなぁ。

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ーーあなた、気づいていないみたいだけど、自分が意外な着眼点でこのエッセイを書けたと無意識に浸っているよ。そしてそれがにじみ出ているよ。

ーーごめんそれは自覚していた。

ーーは? 馬鹿にしているの?

駄目だ。今のところ「ちゃんと自覚していた論法」では相手の怒りを助長させるだけだ。

やはり「無意識論法」は最強だなぁ。何か打開策はあるのかなぁ。

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