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友達がポジティブに殺されそうになっている
友達がポジティブに殺されそうになっている。職場の人間関係(理不尽な上司)ですごく参っているのに、「でも相手の良いところを探さなきゃね」とか言い出してる。喫茶店のオレグラッセにもほとんど手を付けていない。これ、たぶん止めたほうがいいやつだ。
相手の良いところなんて探そうと思えばいくらでも見つかるし、なんだったら捏造できる。主観でどうとでもなる。友達は無理矢理いい面をひねり出し、心の「ポジティブ棚」に絢爛豪華に陳列しようとしている。
私は普通に言った。「それガラクタかもよ」
「えっ?」と友達。「頑張って見つけ出したジャンクな長所を美化して棚に飾ると、ポジティブ棚が倒れてきて押しつぶされて死んじゃうよ」と私。随分乱暴で説明不足な言葉だとは思ったが、シンプルに伝えたほうが良い気がする。
ちょっと参っているとか、クセが強くて困ってるくらいだったら、良いところを探すのは効果があるかもしれないけど、本当に苦しんていたり、あまりに不条理すぎるときになお自分が一歩階段を降りて相手のポジティブポイントを見つけ出すとろくなことがないのだ、たぶん。
「もちろん人には資質があるしさ、それぞれの正解は全然別になるとは思うんだけど、Sちゃんのそれは過剰な無理を強いてるように見える。ポジティブにひねり殺されるかもよ」。じゃあどうすればいいのさ、と聞かれたら、ごめんそれはわからんのじゃと答えるしかないのが申し訳ないけど、「でもたぶん、それが不正解っていうのはわかる気がする」。
ーーSちゃんは高校生からの友達だし、随分と仲良しだ(いつもありがとう)。親しき仲にも礼儀ありというから踏み込み過ぎかなと思いつつ、なんかここは踏み込まないと危険な気がした。現実逃避としてのポジティブ思考っぽい。Sちゃんにはできることなら、本当に素敵だと思う、自分を心地よくしてくれるものをポジティブ棚に飾ってほしい。余計なお世話と思いつつ、そう思う。
でも、現実は厳しい。指を鳴らすように事態が好転すればいいが、Sちゃんはーー少なくともしばらくはーーこの大変な毎日をなんとかこなすしかないのだ。私に出来るのは話を聞いたり、せいぜい怪文書を上司に送りつけるくらいだ。
「どうしてものときは労基に電話するか怪文書を送りつけるから言って」と伝え、その日は解散した。
ーーそれからしばらくして、Sちゃんからお誘いの連絡があった。わーいと心配が混ざった気持ちでカフェに向かう。お店付近でたまたま鉢合わせしたSちゃんの顔色はすこぶる良く、とてもいい顔でにっこり笑ってる。
「なんだか元気そうだね」と言うと、Sちゃんは嬉しそうに笑ってこう言った。
「あのあと上司からの暴言がやっぱりすごすぎて私職場で過呼吸で倒れて救急車で運ばれたの。その時にその原因の上司がまさかの救急車に一緒に乗り込んできたんだよやばいよね。で、もうあまりにやばすぎると思ったし周りも『うわっ、お前が救急車に乗り込むのかよ』ってなったみたいで色々なところに話をしてそれが通ってその上司は飛ばされた。私はもう大丈夫」。Sちゃんはほとんど息継ぎ無しで事の顛末を話し終えた。
ーーうっとりした。私が格好つけて”正解などないのだ”などと思っている間に、彼女はポジティブを無理矢理ひねり出すことを辞め、(不幸で幸運な出来事があったとはいえ)自分できちんとヘルプを出し、ポジティブを掴み取った。
私は感動のお礼に、お願いだからお祝いをさせておくれと頼み込み、場所をスタバに移しSちゃんが好きなメニューを注文した。彼女は好きなものをぱくぱく食べ、絶対に飲みきれないサイズのドリンクをじゅるじゅる飲んでいた。なんだか別人のようだった。
本当にとても晴れやかな顔だった。こういう人が一人でも増えるといいなぁと思った。飛ばされた上司は、追いやられた先でまた猛威を振るうのだろう。それを考えると複雑な気持ちにはなる。でも今だけは、Sちゃんの幸福そうな顔をみながら存分に祝おうと思った。みなに幸あれ。