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ゾンビのような人間にならないでください。

ゾンビ好きの女の子に「ゾンビ映画を観ましょう」と言われて私のアパートで一緒に観た。その子と恋仲になりたかった私が映画ではなく女の子にどぎどきしていたら、「前々から思っていたんですけど」と彼女が言った。

「前々から思っていたんですけど、あおさんのアパートってゾンビが襲来しても絶対大丈夫な造りですよね」

ショックだった。彼女が来る度にどきどきしていたのに、この子はずっとそんなことを考えていたのか。

「ほらここのシーン!」とその人が言う。うーとあーしか言えず動きも遅い古き良き旧式ゾンビたちの中に1体だけ、生前の行動を真似できるゾンビがいた。そのゾンビはある家のドアノブに触れ、かちゃかちゃしていた。

「たとえばこのシーンですよ。数万体に1体しかいないイレギュラーゾンビがドアノブをかちゃかちゃしても、あおさんの家ってドアノブをひねって手前に引くタイプじゃないですか。押すならまだ分かります。何かの弾みで開いちゃうかもしれないですよね。でも引くのはしませんよ」と興奮した声で言った。「しかも鍵が2箇所も付いているし、室内にいるときに鍵のある場所のボタンを押せば外から鍵を開けようとしても物理的に開かないようにできる防犯システムあるでしょう? ゾンビ映画で結局一番怖いのは人間だけど、この家は人間にも対応できるんです!」

やはりショックだった。彼女がこれまで私の家の中を色々見て回っていたのはゾンビ襲来のためだったのか。

「それに」とまだ続けた。「それに家の窓。防音窓だし窓の中に細い鉄格子みたいなのが埋め込まれているから壊れにくいし、アパートの壁に付いている排水パイプをよじ登ってきたとしてもあおさんの窓には絶対届かないから大丈夫です。このアパートだったら食糧問題も絶対大丈夫な理由とか、ちょっとまだまだ色々あるけど、語り始めたらきりがないのでこのあたりにしておきますね」と彼女は言った。本当にそうして欲しい気分だった。

「でも一つだけ」と彼女はまだ何か言いたかったらしく説明を続けた。

「特筆すべきはこのベッドです」

「このベッド?」

「そうです。だってこのベッドは木でできていてある程度軽いしそして頑丈でしょう? 私何度か触って確認しましたもん」

絶望した。彼女が私のベッドに腰掛けているのを何度か見て私は毎回どきどきしていた。思い返すと彼女はマットレスではなくベッドの枠の硬さや、足の部分が取り外し可能かどうかを聞いてきて変だなとは思っていたけど、全ては終末後のゾンビ襲来のためだったなんて。

「このベットに6箇所ある足の部分をですね、ゾンビ世界になったらまず取るんです。そして来てください」と言い、彼女は玄関を開けて外に出た。「いよいよとなったらあのベッドのフレームを非常口階段の踊り場に掛ければ、隣の家のベランダにだって行けちゃうんですよ。しかも変な意味で受け取らないでほしいんですけど、あおさんのアパートってありふれた古めのアパートじゃないですか。それなのにこんなに設備が整っているのはもはや奇跡です」。彼女はすっきりした表情で笑った。大事なプレゼンで手応えを得たみたいな笑顔だった。

ーー私がどきどきしていたベットで、彼女はゾンビに備えていた。あのベッドでキャッキャウフフできる日は永遠に来ないだろう。つらい。

玄関先の空から西日が差し込む時間になっていた。ふと、「ゾンビにならないでくださいね」と彼女の方向から声が聞こえた。逆光で声の主の表情は見えない。

「ゾンビ? ならないよ」

「そうじゃなくて」と彼女が言った。「ゾンビのような人間にならないでくださいね」と真剣な顔で言う。

えっ、「何これ寓話?」と私が冗談にするように笑う。でも女の子は意図を無視し「ゾンビのような人間にならないでください。生きていてください。約束してくれますか?」と言った。

あっけにとられつつも私は「うん、約束するよ」と言い、そして「ありがとう」とよくわからない感謝をした。

ゾンビのような人間にならないでください。頭の中でもう一度声がする。何故だか生きていこうと思えた。死者も生者も、みなに幸あれ。


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