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君の知らない恥ずかしさの世界

同性の友人に誘われ、彼と2人でピクニックに行ってきた。ピクニックは大好きだが、メンズ2人は人生初だった。芝生の中規模の公園で周りは家族連れや男女カップル、そして女性同士だけだったのですごく浮いてるなぁと思いつつ、せっかくだし楽しもうとレジャーシートを広げた。

友人が「バドミントンセットを持ってきた」と言い、何回ラリーが続くか挑戦しようと言う。平和な休日だった。

数メートル離れてラリーをしながら雑談もすることとなり、だから結構大きな声で話をした。コンスタントに50往復は続くようになったとき、彼が「この、間の話なんだけど、・・・」と大きな声で切り出す。

「この間のさ、僕の6対6のカフェデートの話なんだけど、僕、さ、女の子と全然話せなかっ、たんだよね」

「あぁ、あの婚活パーティみたいなやつ、に行ったっ、て話ね」

でも。「うん、」と答えたきり彼は黙ってしまった。そんなにも上手くいかなかったのだろうかと思っていたら、数回ラリーを続けた後でこう切り出してきた。

「やっぱりちょっ、とここで自分の恋愛の話をするのは恥ずかしい」

確かに。私達は結構距離を取って大きな声で話してたので、会話が周りに筒抜けだったのだ。それで、「じゃあ何の話にする?」と聞くと、大きな声でこう返ってきた。

「宗教、宗教の話をしよう!」。えっ、宗教?

「なんで人、類に宗教が必要だったのか、話そうっ!」

うっとりした。なんとピュアな友人だろうか。彼は自分の個人的な恋愛事情や想いを周囲に聞かれるのを恥ずかしがっている。でも「宗教の普遍性」という、個人的な想いより一階層上の、知的な次元の話をすることで恥ずかしさが帳消しになると思っている。その話は周囲に聞かれても全く問題ないと思っている。その機微にくらくらしてしまう。彼が気にしているのはあくまで自分の心の内を他人に知られてしまうことであって、大人の男性2人がピクニックでバドミントンをしているこの状況ではないのだ。

私は自分を恥じた。私が気にしていたのは、田舎町で明らかに周囲から普段より多めに浴びている視線だった。だから彼が異性とのデートの話を切り出した時に周囲の目が緩んだことにも気がついていた。しかし宗教。私は大声で宗教の話をするのが恥ずかしかった。恥ずかしさの質が彼とは全く違っていた。

個人的な話でなければどんな話題でも誰に聞かれてもいい。その、彼の純粋さ。これが感動せずにいられるだろうか。

彼が「人類に、はさ、暗闇の中で、超自然的ななにかに身を委ねる必要が、あったんだ、と思う」と言う。

口に出さず思う。ーーいや、いいのだよ。僕らは全然変な話はしてないし、僕も好きだよそういうの。古来のゾロアスター教(拝火教)が他の信仰に与えた影響とか、シーア派とスンニ派に分かれた経緯とか、煉獄という概念の誕生理由とかを学問的に話すのは好きだよ。スコラ学とかも気になるし、小乗仏教が大乗仏教に変わった理由とか人間っぽくて好きだよ。学問的にはね。でも、宗教の話を、今、ここで?

ーーうっとりと、羞恥と、羞恥への羞恥心との狭間で、私は刹那の決断を迫られた。そして彼よりもずっと低俗な種類の恥ずかしさに負け、こう言った。

「いい、けど、これって恋愛の話よ、りもここで話しにくくない?」

「ーーあっ、」と言い、彼が羽を落とした。顔が真っ赤になっている。「気が付かなかった」と言う。メタ的な恥ずかしさの構図に気がついてくれたようだった。いや、全然変な話じゃないんだけどね。

こういう瞬間があるたびに、彼と友達になれて本当に良かったと思う。いつもくらくらさせてくれる。

結局ラリーの連続回数は108回で、ミスを誘発したのは私の煩悩のせいのような気もするが、彼は妄執のように付きまとわれている羽虫に四苦八苦していたので気づいていないだろう。

ーーそれからサーモスに淹れた温かいコーヒーを飲み、コンビニで買っていたサンドイッチを食べ、レジャーシートの上で彼の恋愛話を小さく聞いた。

とにかく幸せになってほしいと思った。彼に幸あれ。

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