孤独を埋めるための結婚?
結婚しないかもしれないって別々の友達に話したら5人連続で「でも将来孤独になるかもよ」と言われた。ということはもう結婚しなくていいのかもしれない。孤独を埋めたいわけではないのだよ。
言ってくれた友人たちも、本当に言いたかったのはそれではないとは思う。けれど、最初に出た言葉ってけっこう重要だ。
「結婚最高だよ」「やっぱり楽しいよ」「籍を入れると、なんかね凄く嬉しくなるよ」みたいな言葉を最初に聞いていたら違ったのだと思う。孤独かもよという、マイナスをゼロに戻すための手段としての結婚がはじめの言葉に出てきたのでじゃあまぁしなくていいかと感じた。
照れ隠しかなとも思いたいけれど、5人連続かぁ。友人たちが絶対に孤独を埋めるために結婚したわけではないと知っているが故に、ここ数年で幾人かの人たちから聞いたその言葉が何故かとても引っかかっている。多分、特に深い意味はなくふっと出た台詞だとはわかっているのだけれど、思わずこぼれ出た言葉だからこそ、引っかかる。
みたいなことを考えている時点でね、もう違うのだと思う。みたいなことを考え始めた時点で、結婚というシンプルな制度が難攻不落の迷路のように感じるのだと思う。
ーーそれでも、好きな人と一緒に暮らす夢は確定だなぁ。
身近に2組、とあるカップルがいる。一組は結婚していてもう一組は籍入れていない。一組はお子さんが3人と猫がいて、もう一組は2人で楽しく過ごしている。どちらもお互いを信頼し合い、うれしそうに日々を過ごしている。
その日常に混ぜてもらうと、やっぱりとても楽しい。
多分だけど、その2組に「結婚しないつもりなんだ」って話したら、「そっか」と受け止めるのだと思う。そっかと一旦受け入れて、「でも、どうして?」と聞いてくるのだろう。そして(もし結婚がやっぱり素晴らしいと思っていたら)こういういい面もあるよって差し出してくれるのだろう。
だからこのエッセイの最初の言葉を書いた瞬間から漠然とわかっていた通り、結婚するかしないかという「かたち」はあまり重要ではないのだろうな。
それぞれがそれぞれにフィットする場所で、日々くらしていけばいいのだ。
それでもし孤独を感じたら、友人たちと話したり出かければいい。どうしてもさみしくなったら、ちゃんとさみしさを味わえばいい。
マイナスをゼロに戻す手段としての結婚はせずに、ゼロからプラスに感じる何かを選んで毎日楽しく生きていこうと思う。
みなに幸あれ。