世界に3人いるという「自分と似ている人」がいた。
その好きな子って有名人でいうと誰に似てる?
気になっている女の子の話をするとほぼ必ず聞かれるこの制度、もう廃止でいいのではと思うのは私だけだろうか。
恋仲になりたい女の子と知り合ったことを友人に伝えるたびに聞かれ、それとなくごまかしてきたけど、私の本当の答えはこうだ。
「特に誰にも似ていない」。そう、今まで好きになった人は特に誰にも似ていなかったのだ。というか、似ている有名人なんてそうそういるものではない気もする。
そもそも私自身が、「あおさんって有名人の〇〇さんに似ているよね」と言われた経験が皆無だ。人生で動物以外に似ていると言われたことがない。
ただ、ある日を境に急に、私が別々の女の子と話すたび、「あおさんて知り合いの〇〇さんに似てる」と言われ始めた。それは女の子たちが最近知り合った友達であったり、恋人であったり、職場の先輩であるようだった。なんでだろう。それは30年生きてきて初めての経験だった。
そんな最近のある日、友人と遊んだ私は友人の車で家まで送ってもらえることになった。助手席で何気なく車窓を眺めていたら、対向車の助手席の人物に目を奪われた。
「あれ、あの対向車に乗っている人、僕じゃんけ」
その人の見た目は「似ている」という表現が陳腐に思えるほど私と酷似していた。すれ違ったのは一瞬のことだったし、髪型とか服装も相まって似ているように見えたなど解釈はいくらでもできるけど、体感的には紛れもなく私自身だった。
ちょっと怖くなった私は、家の途中にある喫茶店で降ろしてもらい友人と別れ、一人でコーヒーを飲んで気持ちを落ち着かせることにした。
席につき、通い慣れた喫茶店で本を読んでいたら、海外旅行の計画を立てていたらしい隣の席のカップルの男の子が急に「えっ、」と驚いた声を出した。
「えっ、ちょっとまって、オーストラリアってこんなに西にあった?」
どうやら彼らは地図アプリで世界地図を見ていて、そのときに彼がオーストラリアの位置に疑問を抱いたようだった。
「小さい頃に見ていた地図だと、オーストラリアってもっとこう、太平洋にぽつんと浮かんでいるイメージだったけど、こんなにアジア側にあったっけ? ほぼインドネシアの下にあるよ。ちょっと左に移動してない?」
それを聞いた女の子は「前からこの位置じゃなかった?」という顔をしていたけれど、彼らの隣の席でこっそりGoogleマップを開いていた私はこう思った。
「あれ? 昔の世界地図のオーストラリアってもっと東になかったっけ。西に移動し過ぎじゃない?」
男の子はしばらくオーストラリアの位置について話していたが、早く海外旅行の計画に戻りたい女の子に急かされるように彼らはオーストラリアの話を打ち切った。男の子の最後の言葉はこうだった。
「ねぇ、僕らはいつの間にかパラレルワールドに迷い込んだのかもしれないよ」
ーー 誰にも似ていないと言われ続けた人生、この半年で急激に増えたらしい似ている人、そして今日すれ違った自分と酷似した男。
当たり前にそれらはただの偶然なのだろうけど、もしパラレルワールドがあるのだとしたら、何人かの「私」が私の世界に迷い込んでしまったのだろう。
帰り道、アパートまでの大通りを徒歩で進んでいると、遠くに明日デート予定の女の子が見えた。声をかけようか逡巡する間もなく、彼女の隣には私より遥かに格好良く背の高い男の人がいることに気がつく。女の子が笑いながら男の人と腕を組む。
ああ、あの女の子はきっとパラレルワールドから迷い込んできた別の女の子なのだな。
私は自分にそう言い聞かせ、家に帰り、泣いた。それはもう泣いた。
ーーというエッセイを書いたあとで、この話を同世代の友達と話して、2人して同じ結論に達した。小さいころ、自分たちが書いていた世界地図、インドネシアとかフィリピンとかパプアニューギニアとか端折って書いていたよね。学校の先生が授業で黒板に世界地図を書くときも東南アジアの国々を端折っていたよね。
だからオーストラリアは太平洋にぽつんと浮いていたように感じたし、Googleマップで正確な世界地図を誰もが手軽に確認できるようになってから違和感を覚えだしたのかもしれないよね。
昔から、こんな身近に、気づかぬ形での差別に匙を盛っていたとは。
自分たちの所業を深く恥じた。本当、気をつけないとなぁ。