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ギリギリでもカツカツでもパンパンのLOVE

美しいものを見た。月末の焼き肉で清冽な光景に出会った。

恋仲になりたい相手と焼き肉を食べに行った。私はその、独特の思考を持つ彼女に惹かれているが、相手は友人としての好意しか持っていない。その関係が2年以上続いている。

個室のカウンターで横並びで食べながら色々と話していたら食事の最終盤にその人が急に「ごめん、お手洗いに行ってくるね」と言ってすすすっといなくなった。

20分後に戻ってきた彼女の顔は、お酒で真っ赤だった先程とは一変して真っ青だった。あぁ、トイレできつい思いをしたのだなぁ。でも彼女から何か言うまで「大丈夫?」くらいの声掛けに留めようとぼんやり思っていたら目が違和感を発見した。

その人の口には赤いグロスが塗り直されていた。うっとりした。

えっ、まって。普通に吐いてきたのだよね。なのに化粧し直すって凄い。もし自分だったらと考える。もし自分だったら吐いた直後に髪型をセットし直したりあぶらとり紙を使ったりシャツの襟を正すだろうか。ましてや(恋愛的には)特になんとも思っていない相手に。すごいなぁ、キツイときでもきっと自分のためにしているんだろうな。なんだか清冽なものを見た気がした。

そしてその直後、私達のすぐ目の前を、飲食店にたまに出没してしまう例のあの生き物が横切った。彼女は悲鳴ひとつあげなかった。

2年の付き合いなので、その人が虫や小さな生き物が本当に苦手だと知っていた。でも彼女はここで「ひぃ!!」って言うとお店の人やほかのお客のためにならないと思って悲鳴を取り下げたのだ。くらくらした。吐いた直後に悲鳴を飲み込むなんて。

食事は終わっていたので、私達は40秒で支度しそのまま店を出ることにした。うっとりした直後だったから、お会計時に店員さんに冷静に「このお酒のボトルの裏に例の■■■■がいます。次のお客さんのを入れる前に対応したほうがいいかもしれません」と紳士的に言えた。

お店を出ると冷たくて気持ちいい風がやってきた。彼女が「はいっ」と私が一旦まとめて支払ったお金の半分を手渡ししてくる。この日は月末で、彼女はなんてことのない会話で「月末は本当にお金がない。ギリギリでカツカツだ」とこれまで何度も言っていた。でも今日みたく、月末にいくらかのお金が出ていく日には絶対にそれを言わないのだ。

ーー私は今目の前にいる、独特の思考を持つ彼女に惹かれているが、彼女は友人としての好意しか持っていない。それ以上の重みはないと知っている。

けれど、吐いた直後に化粧を直し、悲鳴を飲み込み、カツカツと言わずお金を手渡ししてきたのは、やさしさというかもはや愛だなと思った。形はどうあれ愛じゃ。

彼女は大抵ギリギリでカツカツで、でもいつもパンパンのLOVEを渡してくれる。私はこれまでなかなか時間がかかったとしても欲しいものを手にしてきたが、残念ながら彼女との恋愛関係は諦めている。でもそれ以上に、彼女をとても尊敬している。

私が「なんかうっとりしたからお金はいらないよ」と伝えると彼女は「わーい」と喜んで、吐いて良かった、あれもありがたいPainだと笑った。

それから2人共好きなラッパーのCharluの『My Verse』を口ずさみながら木々の影を踏んで小石を蹴って駅に向かった。私も私でギリギリの毎日でガリガリのキャリアだけど、パンパンのLOVEを与えられる人になろうとやわらかく誓った。

みなに幸あれ。

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