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恋すること以外をすべてした人

私のことを異性として好きで、でも私は恋愛感情を抱いていない相手がこの9月に去った。私しか乗っていない夜のバスを彼女は降りた。まだ体調を崩す前に職場で出会ったので12年以上の付き合いだった。

その人とは、恋すること以外を全てした。駄目なところも楽しい時間もすべてを託せた。他の人には言いにくい話題も話せたし、日々のちょっとしたどうでもいい会話も楽しめた。だって大人になってから知り合って12年だもの。12年って、けっこう大きい。

恋愛感情以外は全部あった。同僚として楽しく過ごしていたつもりの10年前に告白され、気持ちがないことを随分はっきりと伝え、それから色を匂わせないよう距離を間違えないように接していたので、その人も他の相手を探そうとしていた。

もしかしたら、いっそどっちつかずの対応をしていたほうがその人は楽に離れられたのかもしれない。「恋愛感情はない。でも人として心から信頼しているし楽しい」という私の非情な本音は、受け取りようによっては誠実にも見え、それが逆にその人を苦しめたのかもしれない。普通に私がずるい人間だったのだと思う。

その人に恋愛の話をしない。いつしかそれが関係を続けるお互いの暗黙の了解になった。もっというと、”私の”恋愛の話はタブーだった。知り合って6年目に私が別の県に引っ越したので、恋愛の話をしないことはそれほど難しくはなかった。ときおり、その人が他の誰かとデートした話を聞くことはあっても、私の恋愛について聞かれることはなかった。その人は私を友達だと言い、私もその人を友達だと思った。

けれど、ごくごくたまに、その人が私の周囲の異性に嫉妬する場面に出くわし、私は輪をかけて恋愛の話をしなくなった。その人は相変わらず誰かとデートすることはあったようだが、知る範囲ではうまくいってないようだった。

とにかく、恋愛さえ絡まなければ最強で盤石な関係だった。けれど少しでも恋愛の匂いが漂うと、拙い一本のロープを歩くような慎重さが求められた。その人は私との友達関係を続けたいと(少なくとも口では)願っていて、でも不健康だとお互いが分かっていた。

その人はラインのアイコンに、私が好きなキャラクターの画像を選んでいた。喧嘩をしても、私に恋人ができても、決して変わらなかった。私は「変えてほしい」と言えなかった。アイコンは色恋への領域侵犯というか、領域にかろうじてとどまっている象徴に感じられたが、言えばその人が離れていくと思ったのだ。

ーーそうしてこの9月、いつものように電話をしていたときに、お盆に何をして過ごしたかという話題になり、私はその人も知っている私の10年来の女友達と会ったことをぽろっと言ってしまった。その人はそれにひどく嫉妬した。翌日に「しばらく時間がほしい」と連絡が来て、ゆるがせない事実にイライラした私は「やはりもう連絡しないほうが良いと思う」と返した。それはこの12年で何度もあったやり取りだった。

でもしばらくして、その人のラインのアイコンが初めて変わった。その人は以前「この先何があっても、お互いどこにいても毎年10月に必ず会いましょう」と言っていた。でも10月はなかった。その人から連絡は来なかったし、ブロックしたようだった。

その人は3年前に、振り向けば夜のバスに私しか乗っていないことに気づき、だからバスから降りようと試みていた。でも降りられないままお互い「友達」と呼ぶには色々とはみ出している何かに身を委ねていた。

たぶんどこかのタイミングで、私がきっぱりと永遠のさよならを告げるべきだったのだ。恋愛さえなければというのは、完全にこちら側の考えであって、その人を想った意見ではなかった。最初のさよならでは不安定な友達を選んだその人は、最後のさよならできっぱりバスを降りた。永遠に来ない10月を選んだ。

ドアが開きっぱなしの檻の中から、もっと早くその人を外に突き飛ばすべきだった。もしくは最初のさよならをした早朝のバスで、私がバスを降りるべきだった。ーー長い12年だった。

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