とっぱらいたい不安、加害恐怖
ほんじつのおもひ
誰にも危害を与えていないと確信できればいいのに
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いろいろ記述していますが、わたしは人を殺したことも身体的に人を傷つけたことも、ありません.
(心理的には、自覚している以上に相手を傷つけているのでしょうけれども.)
◆自分の行為が危害を与えているのでは
わたしは、他人を傷つけることが本当に怖い.
自分のせいで、他人が、心理的にはもちろん、身体的に傷ついていたらという不安がぬぐえない時がある.
自分の行為、たとえば……、
家のドアを開けて庭に出た、誰かや何かを殺してしまったのではないか.
車を運転している時に車外で物音がした、人をひいてしまったのではないか.
換気しようと思って窓を開けた、その行為によって隣人が危険に陥ってしまうのではないか.
根拠のないばかばかしい思いかもしれないけれども、どうしても不安になる.
不安定な時にひき逃げの報道を目にするともしかして自分も知らないうちに誰かを殺してしまっているのではないかという不安が増強する.
客観的に見ると、不安が現実にないことは分かるのに.
◆なぜ加害恐怖におそわれるのか
罪に問われたくないから、そんな保身のためかもしれない.
ひとが好きだから、ひとを傷つけたくないという理由もあるかもしれない.
自分のせいで誰か傷つくのではないか.
これを感じる心理はよく分からない.
自分で追究しようと思わないということは、知るのが怖いからかもしれない.
分析から逃げているのかもしれない.
ひとつ言えるのは、心がきつい時にこの妄想がやってくるということ.
本当にひどいときはイラストにも描いたように息をしているだけで誰かを危ない目に遭わせてしまっていたり、傷つけたりしているのではないかと思ったりする.
どうにも気持ちが落ち込むと、具体的に他人に傷害を与えたというのではなく「呼吸をしているだけで誰かが傷つく」という発想にまで至るのが意味不明だ.
苦しい時には自分が悪だという思いしか出てこない.
不安を解消するために他人に訊いたりはしないのだが、「もしかして」という思いと、「大丈夫だよね」という思いがぐるぐるしつづける.
◆「加害恐怖」
加害恐怖という言葉、ご存じのかたも、馴染みがないかたもおられるかもしれない.
――なので今回はそれを書いてみました.
読んでくださってありがとうございます.
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みなさまが今晩ゆっくり眠れますように.
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