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隣の芝生は青い、子育て。

庶民の子育ての苦労とは、みんな似たり寄ったりだったり、質や内容が違えど何かしら苦労はあるさと自分に言い聞かせるものの、やっぱり隣の芝生は青い。

だけど、そもそも、人のことは比べられない。

何に重きを置くかの物差しも人それぞれだし、だいたい、目に見えるものなんてその人の抱えているもののほんの一部分だ。

比べて一喜一憂するのは意味がない。

幼い頃の親の口癖「うちはうち、よそはよそ」

シルバニアファミリー、リカちゃんの洋服…

うちには何もなかった。リカちゃん人形はおじさんの結婚式でもらったプレゼント。絵本はははのいとこのおさがり。自転車だって、はとこのお兄ちゃんの鉄人28号のだった。

友達の持ち物が羨ましかった。

ずっと言われ続けた「うちはうち、よそはよそ」。

自分の子どもには、そのセリフは言うまいと思ってここまで来たけども、学童や習い事で予定が埋まっている上に友達付き合いもさかんでないうちの子。

よそのうちを羨むという事象が発生しないのだろうか。

誕生日にほしいもの、ある?と聞いても答えは「うーん、とくにない」。

学校ではやっていそうなポケモン。
ポケモンカードとか、ほしいの?

聞いても答えは「いや、べつに」。

なんか、はりあいがない。
「うちはうち、よそはよそ」
って言う機会がないけどいいのかな?

口が裂けても言わないぞと思っていたセリフだけど、喉から出かかることすらなくて少し不安になる。

わがままな親だ。

子どもの発達や病気のことはセンシティブ

リアルな場所ではよっぽど親密にしている人でない限り子どものプライバシーを口にしないほうがよいと思われる。

と言いながらnoteではポロポロ話題にしている。同じ悩みを抱える人の参考になるとよいし、記事を書くと自分の知りたい情報もまたあがってくるため。

現実界ではさまざまな過程を共有しているママ友とは情報交換したりお話しをするものの、センシティブな話題なので親しくない人とはまず話すことはない。

話の流れ上、うわべをさらっと話してももともとフックがない人は話が広がらない。きっと、「その言葉、聞いたことがない」て感じなのだと思う。(例、K式、ウィスク)

他人の事情は、わからないものだ。

実際、自分の子どもが結構有名な病院に行っているのでその近くに住む知人に話したら「うちの子もそこにずっと通ってて手術したんだよ」なんて長年の知り合いと情報交換に至ることがあって「え!そうなの?!」となった。その病院にフックがあった人ということだ。

子育てイージーモードそうかどうか、側から見てもわからないことは多いのだ。

それに、一般的なイメージで大変🟰不幸とか、楽しくないとか、決めつけないよう注意が必要と思われる。

親の事情もまたしかり

よそのうちのパパが育児に協力的そうに見えてもモラハラかもしれないし、愛想のよいお母さんが家で子どもに暴力をふるってるかもしれない。

よそのことなんてわからないものだ。

自分の子どもの頃、親が子どもをたたいたり怒鳴ったりするのは普通だった。なんなら、学校の先生だってそうだった。

今はそんなの虐待だ。子どもの前で両親が喧嘩するのもまた虐待だ。

年配の人は子どもを厳しく躾けない親を悪く言うけど、叩いたり蹴ったり子どもの前で罵り合ってたんじゃないかな?そうでなければ、たまたまよっぽど良い子が生まれただけだよ、なんて意地の悪いことを思ったりする。

親の事情だってまた、よっぽど親しい人でないとわからないものである。

うちだって、夫婦喧嘩の中身なんて誰にも、それこそ実の母にも話さない。

(noteには書いたりすることあるけど)

子どもから見て「いい親」でいるのは子育て以上に難しそうだ!

よその子に、絶対この子いい子になるだろうな、いいな、と思う時

正直、「この子いい子だな、もしこの子を育てたら今ほど苦労なんかしないんだろうな」と他人の子に対して思う瞬間がないことはない。

この子の子育てならイージーモードだろうな、って。

実際「楽だよ」って親が思っていることもあるかもしれないけど…人生そんな単純じゃないだろう。

子育てイージーモードの子がずっと未婚で実家にパラサイトするかもしれないし、早々に結婚して独立したと思った子が離婚して親にたかるかもしれないし、ずっといい子だった子が手のかかった兄弟に嫉妬して歳をとってから「私は不憫だった」と親を恨むかも知れないし、親のレールをずっと走らされた子に離縁された親の話はよく聞く。

子育ては子どもが18とか22で終わりになっても、残念なことにそこから下手したら50年とか60年とか親子関係は続くのだ。

だからいわゆる「子ガチャ」があたりでも、それがなんだってなもんだ。

それにやっぱり、周りから見ていい子に見える子においてもやはり、だからこそ周りにはわからない悩みがあるのかもしれない。

そこはやっぱり、他人にはわからないことだ。

だから今日も淡々と。

なんでこんな記事を雨降りの月曜日からしたためたかというと、子どもを「怒り過ぎたかな」と反省したからだ。

ご飯の前にiPadを止めよう
遊ぶ前に身支度をしよう
練習してから習い事をしよう
宿題を終えてから遊ぼう
時間に間に合うように支度をしよう

こんなこと毎日毎日言わせんじゃねーよ!!
はらわたが煮えくりかえりそうになりながら日々笑顔で頑張っているけどたまに思う。

なんで、うちの子はこんなに出来が悪いんだろ。

子育てってこんなに辛かったっけ?

自分に余裕がないと大声で言ってしまう。
「何度も言わせないで!」
「いつまでもこんなこと言わせないで!」

「は?産んだのおまえじゃん、じゃ産むなよ」
反抗期になればそう言われそうだ。

「働かなくてもいいくらいのお金を用意できないくせに、稼げるような子どもに育てる力もないくせに、産むなよ」
そんなふうに言われたら返す言葉がない。

そんな日が来ることに多少怯えながら今日もまた淡々と生きていく。

まとめ

反抗期に備えて自分のパワーを少しでも残しておきたく、怒りすぎには注意しようと思う。

私は多分、「子育て」がしたいというより、人生に渡って子どもたちと信頼関係を構築し続けていきたいらしい。

そのためには隣の芝生じゃなくて子どもたちを見続けていく必要があるんだろうな、ってところまで来た。

あと、衝撃の事実。

子どもたちのかわいさの貯金はいくらでもあるのに、かわいい貯金は絶対不可侵で取り崩せないらしい。

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