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もう届かないかもしれない「ママはきみの話を聞きたいんだよ!」

子どもが小学校に入ったら、どんな風に過ごしているのかわからないことが増えてくる。

本人が話さないときは、断片的に先生から伝え聞いたり、ランドセルの中身や筆箱の中の具合から想像するくらいだ。

集中してるかしてないか、暇そうかそうでないか、鬱屈としてそうか、なんとなく見えてくること、わかることもある。

特に揉め事がないと先生から何も聞かされないことも多い。もし、学校生活でクラスに馴染んでいれば自然とそうなる。それは良いことなのかもしれないけれど…

小2息子から聞く話は、友達が主語のことが多い。

ASD味のある子だけど、人のことを実によく観察しているのだなと思う。むしろ、その点においてスペシャルな感覚を持っているのかもしれない。

よく話す子もいるようだ。
逆に距離がある子、心を開いてくれず話さない子がいることも教えてくれる。
何を考えてるかわからない感じの子も周りにいるそうだが、おまえさんが1番ミステリアスな存在じゃないか?と密かに思ってしまう。

あの子はすごい、この子はすごい、と、一目置かれている子達の描写はなかなかに鋭い。

あの子は忘れ物がないとか、みんなの話を聞いてまとめてくれるとか、どんなときも真っ先に手をあげるとか。

それはそれはよく、話してくれる。

あまりに嬉々として話してくれるものだから、私はだんだんと違和感を覚え始めた。あれ?このもくもく膨らむ気持ちはなんだろう?

そして、今朝、朝の準備をダラダラとして、ずいぶんのっそりゆっくり動く息子が、玄関で「◯◯さんはね、」と話し始めたとき私の中で何かがプツンと切れた。

次の瞬間、私は、涙を流しながら訴えたのである。

「ママは、◯くんの話が聞きたいんだよ!〇〇さんの話なんて聞きたくない!」「ママはいつだって、◯くんの話が聞きたいのに〜え〜ん」

突然泣きながら叫ぶ初老のエモ女を見て子どもたち(小2息子と、下の子3歳)もドン引きである。

私自身もびっくりである。私はそんなことを考えていたのか?

小2息子本人は何か感じることがあったのか、私の目をじっと見ていた。

下の子は母親の異常を察知し、「ママ行ってくるね、バイバイ」と玄関の扉を閉めて出かけようとした(ごめんだけど、私が送っていかなければならないため阻止)。

そこから、どう過ごしたか覚えていない。
学校に行きがてら「◯くんが好きだよ。◯くんは特別だよ」と小2息子に言った。かつては毎日毎日、日に何度も繰り返した言葉だ。
もう届かないのかもしれない。

でも、私はどうしても、息子自身の話が聞きたい。

どんなことをして、楽しかった、悔しかった、嬉しかった、寂しかった、自慢したい、恥ずかしかった、褒められた、怒られた…内容はなんだっていい。

でも、息子は興味のあることしか興味がない。
私が望むことを話すのは難しいのかもしれない。

それかもうあまり親に根掘り葉掘り聞かれたくないのかもしれない。

難しい年頃になっていく。

もし、息子が悪魔の囁きに誘われることがあったとしたとき、「お母さんが悲しむかもしれない」と、突然泣き叫んだエモ老婆を思い浮かべてくれるなら玄関先で急に泣いて訴えた甲斐もあったと言えるだろう。

そんなことがないように祈りたいけれど。

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