会社の飲み会でどんよりした理由が分かった43歳部下なし管理職ワーママ
昨日は子どもが熱が高くなりそうで保育園を休ませて看病…
したはずが、子どもは熱は落ち着いて食欲旺盛元気いっぱい、私は体調不良でヨレヨレという情けない状態だった。
「なんか調子悪いな」と思って、無理せず過ごしたのが功を奏したのか、今日はスッキリしていくらか「元気感」を獲得した。
元気になったところで、昨日調子が悪かった原因のひとつである「その前の日が会社の飲み会でどんより疲れてしまった」を掘り下げることにした。
(疲れている時や辛い時、そのことを1人で考えるのは避けた方がよいけど、元気な時に分析してみると役立つことが多い)
ズバリ「線の向こうとこちら」現象
疲れた原因は、私と他の人たちの間に線があるように感じて落ち込んでしまったからだ。
集まったメンバーは同じ上司を共有する人たちとそのビジネスパートナー。私の本来の上司は空席なので私は事故的にとっても偉い人に報告している。よって、飲み会メンバーでは「ポジションが一番格下」なうえに入って半年と比較的新しいメンバーなのだった。
アウェイ。
アウェイなだけなら別にいいけど、私だけ(たぶん)なんか違う感を感じてしまうのである。
飲み会自体は楽しく平和であった。なのになぜ、そんなことになってしまったのか。
それは、そこにいた方々のいろんな発言を取り出してガッチャンコすると、「私はまだまだ全然ダメなんだ」みたいな気持ちになってしまって(⚠️そんな意地悪なことを言う人は1人もいません!)、周りが私とは違って「全然ダメ、じゃない方の人たち」に見えてしまった。
線のあっち側とこっち側、そう分けた途端に辛くなる。
別に分ける必要もないし、誰も、分けてきてないのに。
おそらく、私の言語処理能力がバグってるか、何かしら心に引っ掛かるものがあったのだ。他人のそれなら触れてはいけない部分、自分のそれならコンプレックスと呼ぶものだ。
コンプレックスがあらゆる言葉をマグネットのように引っ付ける
私には「部下なし」コンプレックスがある。
もう4年、管理職扱いの部下なしをやっていて、やっぱり部下がいないと管理職じゃないよってわかるし、わかりすぎる。
別に部下を持つだけが管理じゃないという見方はあれど、「人を預けてもらえない」「チームの管理スキルは身につかない」と表現してしまうと暗い気分になり、私はコンプレックスがあるのだろう。
だから、管理職特有の「成長」や「失敗」の話をそばでされるとそれが他人のものなのに、「私にはそんな話題にあがる資格もないのか」と落ち込む(いやいや、他の人の話題なのに、自意識過剰で痛すぎと今なら突っ込む)。
それに、自分で決めて人を動かせ!みたいなこと言われると、結局管理職のオッケー貰えなくてその部下が動かせないことがよくある私は、そんなんじゃ、やっぱり部下ありにはなれないんだ…ってしょんぼりしたりする。
そして飲み会という場所的にかつての上司にプロモートされた人たちを見て「ああ、この人たちにはあるけど私にないものがあるのか」などと悲観したりするのである(いやいや、まずそこの職場で実績あげないと!無茶苦茶な…と今なら突っ込む)。
そんなんで、私の部下なしコンプレックスは、マグネットのように、それとは関係ない言葉を引っ付けてコンプレックスを強化しようとするので恐ろしい。そんなコンプレックス、ない方がいい、それか、ちゃんと、ひっついてしまった余計なものを剥がさなければ。
些細なことで気持ちは変わる、気持ちとはめんどくさいもの
不思議なものだ。
その飲み会にいたメンバーと会議を持つことは多々あるが、別にコンプレックスなんか感じたことはない。
みんないい人たちだし。
ではなぜそんなことになったのか。
更に掘り下げる。
私は飲み会の場では、子持ち女性というレアなアイコンで、子持ちの方が多いとは分かっている場所で「子持ち」アイデンティティを封鎖している。
独身なのかお子様がいるかもわからない人が混ざっているからである。危ない橋を渡らない方がいい。それに、子どもや配偶者の話など会社の人としない主義の方だっているだろう。
そうすると、何が起こるのか。
私のアイデンティティの中の「会社員」が年々小さくなり「母親」がでかくなってきたから、飲み会という場がどこか自分から遠くなってしまったのではないだろうか?
これは納得である。
気持ちの面で前向きになれない、自分事になれない、そんな自分を発見した飲み会でコンプレックス発動、よって疲れ爆発。
逆に、以前、「母親」というアイデンティティモロ出しで職場の友人たちと話した時は何を聞いても話しても自分事でめちゃ元気が出た。
いい飲み会、いやすい職場についてもついでに考えた
飲み会の疲れの原因を紐解いてわかったことがある。
職場の飲み会って、なるべく楽しい方がいいんじゃない?
かと言って当たり障りのない話をするってのではなく…
せめて「ためになるな」とか「笑ったな」とか「いい話が聞けた」とか「◯◯さんの意外な一面を知った」みたいなものがいいんかな、と。
あと、いやすい職場ってなんだろう?についても考えさせられた。
働く人が、自分事でいられる場所、ではないかな?と今の所思う。
「この人たちと自分は相容れない」と思いながらみんなが働くのではなく、「普通に友達とかにはならない人でも、仕事を通じてなら自分はみんなと同じチームになれる!チームの一員でいられて嬉しい」そんな職場がいいかな、と。
せっかく8時間とか、仕事するならね…。
学び
疲れた飲み会を通じて、自分のコンプレックス、母親になり縮小されたと思しきサラリーマンアイデンティティ、いい飲み会といやすい職場、についての気づきがあった。
普通に、飲み会で聞いた話も振り返るとためになったしおもしろかったので収獲ありありである。
パパのワンオペにも感謝!