自分の正義と他人の正義
皆さんこんにちは、しまさです。
冒頭の引用は、野原ひろしの言ってない名言です。原作でも言ってないにも関わらず、なぜか結構有名なので、聞いたことがある人もいるかもしれません。まあ、劇場版のひろしなら、言っていてもおかしくはないですよね。
ネタの話はさておき、この言葉はとても本質をついていると思います。正義の反対と聞くと、「悪」が思い浮かぶかもしれません。しかし、正しさの基準なんて人によって異なります。
そのため、自分と対立した正義だからと言って、悪にはならないと思います。正義の答えは1つではないのです。特に最近は、多様性というワードをよく耳にしますし、色んな正義を尊重する風潮になっていくかもしれません。
そこで今回は、多様性が尊重される現代における、他人の正義との向き合い方ついて考えていきます。
正義とは
まず、正義の意味を調べるとこのように出てきました。「正」というも文字が使われているので、1と2のように「正しい」という言葉がやはり出てきています。この時点で、正しさって人によって違うよなと思ってしまいます。
また、3のように評価基準や規範も正義の一つになるようですね。「法の下に平等」という言葉があるように、法律のような全国民が平等に守るべきルールも、確かに一種の正しさではあります。
ただ、それはあくまで同じ国の中での話です。そのため、世界を広げれば日本とは違う別の正しさがあり、絶対的な正義など、この世には存在しないことになります。
つまり、正義は1つに限定されるものではないのです。
絶対的な正義も悪も存在しない
これは「神は死んだ」で有名な哲学者ニーチェの言葉です。ニーチェの哲学は、自己肯定の哲学ともいわれており、今ある自分を強く肯定する考え方になっています。そして、解釈というのは、その大きな役割を担っています。
この言葉のように、事実が本当に存在しないかと言われると微妙な気がしますが、解釈が存在するのは確信できます。なぜなら、人によって正義が違うということは、正義への解釈が違う(存在する)ことを意味するからです。
そのため、正義の反対は悪ではありません。ただ、お互いが考える正義への解釈が違っただけの話です。たとえ、正義という事実が1つだったとしても、解釈は無限に存在しますから。
もはや、絶対的な正義というものは存在せず、解釈だけが存在すると考えた方が良いのかもしれません。そうすれば、違う正義を悪という発想も、きっとなくなります。
犯罪者は全員悪人なのか?
正義の意味で、法律のような規範も正義の一つだと出てきました。世の中は犯罪者は悪ととらえる風潮がありますが、これはまさに正義の反対は悪という考え方です。
確かに、犯罪者を悪人と考えるのは理解はできます。私も殺人や強盗を肯定するつもりはありませんから。しかし、これは法律という正義と自分の正義がたまたま一致しているからそう感じるのであって、犯罪者達にも何かしらの正義があったのかもしれません。
悪いのはあくまで、法律という枠組みの中に限った話です。そのため、悪いのは罪であって、その人の全てではありません。つまり、犯罪者全員が悪人であるとは断言できないのです。
もしかしたら、彼ら・彼女らに救われた命があったのかもしれませんし、罪を犯す以外の部分、つまりは法律の枠組みの外であれば、善人であったかもしれないのです。
正義も悪も枠組みが何かによって解釈が異なります。このことからも、絶対的な正義も悪も存在しないと言えると思います。
自己肯定のために他者否定をしない
自分と他人の考えが衝突した時、自分を肯定するために、相手の考えを否定する人をよく見かけます。私も口には出さないにしても、それは違うのではないかと思ってしまうことがあるので、気持ちは分かります。
しかし、それでは結局、正義の反対は悪と考えているのと本質的には同じことです。自分の考えの反対は間違いでも悪でもありません。自分の考えの反対は「また別の考え」です。
多様性というワードだけでなく、自己肯定感を高める生き方も最近は流行っいます。そんな時代だからこそ、他人との違いをどう解釈するかが大事になっていくと思います。
まとめ
正義の反対は悪ではなく、「また別の正義」です。そのため、絶対的な正義や悪など存在しませんし、自分と違う考えを否定せずに解釈することが大事になると思います。
実は、今回のテーマはVaundyの「世界の秘密」という歌詞の一部にとても共感したので書くことにしました。以下は2番のAメロです。
人生に足踏みしている時に聴くと、とても勇気がもらえる曲だと思います。よかったら、ぜひ聴いてみてください!ひろしもいいですが、Vaundyも素敵ですね✨
以上です。最後まで読んでくれてありがとうございました。