正論は全体最適、優しさは個人最適
皆さんこんにちは、しまさです。
今回は私が大好きで毎日聴いている曲でもある、Official髭男dismさんの「Subtitle」の歌詞の一部を抜粋して、正論と優しさについて考えて記事にしました。
ぜひ最後まで読んでいってくれると嬉しいです。
Official髭男dism 「Subtitle」
「正しさより優しさがほしい」
昨年話題にもなったドラマ「silent」の主題歌でもあるOfficial髭男dismの「Subtitle」、知っている方も多いと思います。
その中でこんな歌詞があります。
この2番のサビは私が一番好きな部分でもあるのですが、皆さんも共感できて思い当たる節はあるのではないでしょうか?
相手に正論を言われたけど、なんか納得できない。だからと言って、相手が言っていることが正しいのは分かっているから何も言い返せない、そんな経験が。
特に私は理系大学院生だったので、よく教授に理詰めで攻められてボコボコにされていました。ぐぬぬ…何も言い返せぬって感じです。
論理的には正しくても、感情的にはそう言われたくないこと・納得できない事って多い気がします。
特に私はMBTI診断の結果がINFJで、論理よりも感情優位の性格なので(3つ目のFはFeelingの略)、この歌詞にはすごく共感しました。
逆にT型(Thinking)の人がどう感じたのか少し気になるので、良かったらコメント欄で教えてください。
正論は全体最適
では、そもそも正論って何でしょうか。
論理的に正しいことですが、そもそも論理的って?
調べると論理的とは「筋道が通っているさま」と出てきますが、私は「誰が見ても正しくあること」が本質だと考えています。
つまり、全体最適です。
複数のデータやみんなの意見をベースに筋道立てて導き出された結論だったら、必ず正しさを説明できます。
いわゆるロジカルシンキングですね。
Subtitleには正しさという言葉しか出てきていませんが、次に説明する優しさの意味を個人最適と定義すると、それを反対にして正論は全体最適になると私は解釈しています。
優しさは個人最適
次に優しさですが、これに明確な答えなんてないはずです。
感情の感じ方は人それぞれ異なりますからね。
人それぞれ答えが違うということは、つまり個人最適です。
これはSubtitleの歌詞からも明らかですよね。
優しさを受け取れるのは不特定多数ではないただ1人なのですから。
まとめ
以上が髭男 Subtitleから考えた、正論と優しさについてです。
それにしてもなんていい歌詞なんだ。
毎日聴いても飽きないです。
ぜひ気軽にコメント・スキをくれると嬉しいです。
最後まで読んでいってくれてありがとうございました。