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あなたはきっと職場でそう言われてきたのね 。 一緒に仕事をしているわけでもない私それを言うか?
最近会った友人が、語気も荒く「で、そのメリットは?」「それのデメリットは?」「今要る情報だけ頂戴よ」「空気読めよ」とか、言い始めていて驚いた。確かに、私よりはるかにビジネス最前線なライフスタイルのお方ではあろうが、これまでそんなこと言ってたっけ?(1329文字)
さて、「今要る情報だけをくれ」という上司は、ある意味、情報の殺傷与奪権を部下に与えているとは言えまいか。自から率先して、その情報が必要か、不要かを判断する「権利」を放棄しているとは言えまいか。
金融街を舞台にしたハリウッド映画のワンシーンに、経営トップ(CEO)が、会社の危機的状況を説明する部下の報告を受ける会議シーンがある。CEOは、一通り聞いたうえで、「それで、私はこの件に詳しくないのだが、データはどうなっているのか?私にもわかるように今要る情報だけくれ」というようなことを言う。そこで、入社間もなき若きデータアナリストが呼び出されて詳細を報告する。
これが「今必要な情報は何か?」ということであろう。CEOは、そこまでの報告を受けながら、「いや、本当にうちはヤバいかも知れんぞ」と「判断」し、ピンポイントで選択し、「それ、そこのところ」の詳細な説明を新入社員の若造に求めたのである。
このような「判断」を瞬時に行うことが、彼をしてCEOたらしめているのだが、このシーンに被れたにわか者は、もしかしたら「今要る情報だけくれ」というようなセリフをよく考えもせずに使うかもしれない、と私は感じた次第である。
ビジネスに限らず情報は玉石混交であり、インターネットの時代にはとりわけ甚だしい。特にビジネスの世界では、一瞬の判断で情報の取捨選択をしなければならない時もあるだろう。部下がピンポイントで報告してくる情報は、部下の取捨選択である。ある程度幅を持たせて報告してもらわなければ、玉は石の中に埋もれたままで、CEOたるあなたのもとには届かないかも知れない。上に立つ者が「ちょっと待った。今、その情報が欲しい」と言えなければ、勝敗はどうなるか、目に見えているだろう。
このような勘違いが、経営陣、管理職に、「部下がやったことです。私は知りませんでした。」と言わしめる一因にもなっているのだろうか、と私には思われた。日本人は戦時中の隣組制度、封建社会における村の秩序維持のための一蓮托生などからも見られるように、連帯責任の風習がある民族である。それは主に民衆に対しての連帯責任の取らせ方であるが、今は犯罪者グループに対しても適用され、管理者は管理責任を問われ処罰されることになっている。
ホワイト社会に向かう今後、企業や団体の管理職にもこれが適用される時代は来るのだろうか。その時はぜひ、情報の殺傷与奪権を部下に丸投げしないでご自身の身を守っていただきたいと、僭越ながらお願い申し上げる。
さて、おそらく職場で上記のように言われてきたであろうかの友人はその後、一部上場企業の正社員、勤続30年、数少ない女性管理職という地位をかなぐり捨てて、非正規で再就職した。先日会った時、「あなたの想像を超えるストレスや、会社の政治的な背景があって辞めたので。ちょっとは空気読めよ!」と言っていた。彼女はその時でさえ、ポジティブに明るく振舞っていたので、私としては、よくぞ言ってくれたと思った。吐き出した方がいいよ。そんなにまで頑張らなくてもいいよ。
かのフロイトも、「愛せなくなるような働き方をしない」と仰せである。
*映画とフロイトの言葉の出典は桃と紅茶の記憶の範囲内であり、詳細は不明です。公開の速度を優先し、詳細は後日記載予定につき、本日はご容赦ください。