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優雅なる脱力

ジョギングパンツは敗北の印である。自分の人生をコントロールすることに敗れると、人はジョギングパンツで外出するようになる
CHANELのデザイナーとしても有名だったカール・ラガーフェルドが、生前に語った言葉です。

ジョギングパンツはエクササイズやスポーツに必須のアイテムですし、アスレジャーやエフォートレスというファッションの流れから、日常的に愛用している、というかたも多いかもしれません。
そんなかたにとっては暴言のようなラガーフェルドの言葉ですが、体を動かす場面に適した洋服を、いついかなる場でも着用して良いものではない、ファッションはTPOをわきまえるべし、というのが彼の確固たる哲学です。

ラガーフェルドが自分の好きなデザイナーの洋服を着るために大幅な減量を行ったことは有名で、自分の体に合う服を選ぶのではなく、自分が洋服に体型を合わせる、ということまでして、理想の美を追求しました。
そこまで徹底的な美意識を備えていたからこそ、人々があまりにもルーズでくだけた格好をしている様が、見るに耐えなかったのかもしれません。

彼が長きにわたってデザイナーを務めていたCHANELの創始者ガブリエル・シャネルもまた、同じようなことを語っています。
醜さには慣れることができる。けれど、だらしなさには我慢できない
シャネルも妥協を許さない鋭敏な美的感覚の持ち主であり、現代の快適さが主流となったファッションを見れば、ラガーフェルド同様、顔をしかめたに違いありません。

だらしなさととラフさは違います。私が思うに、前者は態度であり、後者は選択です。
行き届かなさと放棄がだらしなさであり、崩しや遊びといった気取らなさがラフさです。だらしなさは無気力だけれど、ラフさはくつろいで活気に満ち軽やかです。
常に緩んでいることが良いことではありませんし、ずっと緊張が続くのもまた然りです。

これはファッションに限ったことでなく、思考や体、さまざまなものに当てはめられる気がします。
物事はすべてにおいて相反する要素を含んでいるため、そのなかで、どちらかに大きく振れることなく中庸を保つこと。微妙なバランスを保ちつつ、双方をミックスしたり、時に二つの間を行き来するのが、最も理に叶った在りかたのように感じます。

例えば、それが着こなしについてであれば、ゆったりした洋服を身に着ていても、一ヶ所はどこかにポイントを付けること。肩のラインだけは実寸に合わせたり、ベルトでウエストをマークする、袖の長さやフィット感を気づかうなど、視覚的にすっきりと見せるこつを押さえていれば、だらしのなさを感じさせず、力が抜けリラックスした印象を作り出せます。

ヌーヴェルヴァーグと呼ばれるフランス映画の黄金期に、世界中で人気を博したブリジット・バルドーを見ると、それがよくわかります。
スクリーンの中で彼女は、最上級のオートクチュールであるローブ・デコルテのドレスから、街着に水着、シーツをまとっただけのセミヌードまで披露しましたが、決まって一風変わったヘアメイクで調和を破り、どんな衣装も自分流にアレンジして着崩しました。
そのうえどれだけしどけない格好をしても、みじんもいやらしさやだらしのなさを感じさせなかったのは、彼女の常に完璧な姿勢ゆえです。

女優になる以前はバレエの世界に身を置いていたバルドーは、自分の体を完全にコントロールし、いかにすれば最も際立つか、その見せ方を熟知していました。だからこそ、全体の絵姿として彼女を見た時、とれだけ構わない格好でいても、品位と緊張感が決して失われなかったのです。
これも、高度な緩急の付けかたのひとつです。

しっかりとした土台がありさえすれば、少々の遊びも許され、むしろ崩れたところが粋になるのは、芸事にも共通するものと言えるかもしれません。
無理をして緊張を保つのでなく、適度に力の抜けた在りかたは、身につけば素晴らしい優雅さを与えてくれるように思います。

ラガーフェルドやシャネルの厳格さには惹かれますが、私には東洋的中庸が好ましく、何事も緩急を楽しみつつ、自分のものにしていけることを願います。
様式は変わる。個性は残る
シャネルのこの言葉に私も賛成です。

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