2月の詩
中国茶。ヒアシンスの芳香。薪の火。すみれの鉢──私にとって、それが2月の快い午後のイメージだ。
英国のフローリストで作家のコンスタンス・スプライはそう書きました。
19世紀の末に生まれ、二度の戦争、国外退避、離婚や息子の死など、人生の大きな苦難を舐めた彼女が、快適な室内で束の間の休息に浸る様子が目に浮かびます。
そこには芳しい香りと共に、2月の厳しい寒さを和らげる仄かな明るさが漂います。
◇◇◇
スプライと同じくヒアシンスの薫香を愛した北原白秋は、第二歌集『思ひ出』に一篇の詩を綴りました。
水ヒアシンス
月しろか、いな、さにあらじ。
薄ら日か、いな、さにあらじ。
あはれ、その仄のにほひの
などもさはいまも身に沁む。
さなり、そは薄き香のゆめ。
ほのかなる暮の汀を、
われはまた君が背に寢て、
なにうたひ、なにかかたりし。
そも知らね、なべてをさなく
忘られし日にはあれども、
われは知る、二人溺れて
ふと見し、水ヒアシンスの花。
この詩は幼少期の記憶に頼ったもので、従姉妹に背負われ野に出た時に、浅瀬に咲く水ヒアシンスに見惚れるあまり、二人して水に落ちてしまった、という思い出を描いています。
その白秋は長じて文筆家となり、たちまち世に知られるも、私生活のスキャンダルで全てを失います。
夫ある女性との恋愛関係がその原因で、告訴や逮捕という苦境からどうにか抜け出た後、失意の中で新歌集『桐の花』を出版しました。
その中でもとりわけよく知られた一作といえばこちらでしょう。
君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
先述した、後に妻となる女性との後朝の別れが描写され、ここにも一面の銀世界に広がる香りの情景が立ち現れます。
むろんそれは白秋のイマージュですが、心の揺れと声にできない叫びが閉じ込められた、透明で鮮烈な世界です。
◇◇◇
現実の街に降る雪は残念ながらもっと散文的で、一年でもとりわけ寒さが厳しいこの時期は、我知らず心が沈みがちです。
けれども暦の上では2月4日の立春を機に、季節は少しずつ春へと進んで行きます。
ヒアシンスはそんな時期の代表的な花のひとつであり、椿もまた、歳時記ではその位置が春に定められます。
なるほど、秋の終わりから咲き始め、冬を彩る寒中の花という認識ながら、よくよくその名を眺めてみると、椿の中には春があります。
この花は日本庭園や茶室に似合い、いかにも東洋的な印象ですが、西洋でも深く愛され、デザイナーのガブリエル・シャネルが自らの象徴としたことは有名です。
また初演から一世紀以上を経てなお世界中で上演されるジャコモ・プッチーニのオペラ
『椿姫』と、その原作であるアレクサンドル・デュマ・フィスによる『椿姫』は、西洋社会でことのほか椿の知名度を高めました。
『椿姫』の主人公マルグリットは胸元にいつも椿の花を飾りますが、椿はヒアシンスに似た"グリーンノート"を持ちながら、芳香はごく控えめです。
彼女に寄り添う貴公子のアルマンだけが、オペラ座の桟敷席や豪奢な箱馬車のシートで、その香りを満喫したのでしょうか。
「僕たちは急いで幸福になろうとしました。
まるでそれが永くは続かないと知っているかのように」
こんな物哀しい独白を誘う、儚い花の香のごとき日々のうちに。
◇◇◇
椿のほか、この時期の花といえば梅であり、万葉の昔より人々の心を掴むこの花は、数え切れないほど多くの歌の主役ともなりました。
それらはすでにあまりに詳しく知られているため、ここでは群馬県に生まれた詩人、山村暮鳥の詩集『雲』に収められた一篇をご紹介いたします。
梅
ほのかな
深い宵闇である
どこかに
どこかに
梅の木がある
どうだい
星がこぼれるやうだ
白梅だらうの
どこに
さいてゐるんだらう
おい、そつと
そつと
しづかに
梅の匂ひだ
大竹藪の眞晝は
ひつそりとしてゐる
この梅の
小枝を一つ
もらつてゆきますよ
◇◇◇
まだ名ばかりの春であっても、冷冷たる空気のなかに咲き初める梅の気配は、季節の確かな移り変わりを感じさせます。
芭蕉の弟子である服部嵐雪も、そんな実感の込もった歌を詠みました。
梅一輪一輪ほどの暖かさ
どうか被災地やどんな土地にも、一日も早く心和む季節の訪れがありますように。