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【日記】密教のお坊さま達とピッツェリアに行く

おそらく、その八面六臂の活躍ぶりに匹敵する人間は存在しないであろう知の巨人・南方熊楠(みなかたくまぐす)。
語り草となった数々のエピソードの中に、こんなものがあります。

熊楠がロンドンで大英博物館に詰めていた頃、お気に入りのノートが無くなり、日本の友人に同じものを送ってくれるよう頼みました。
航空便もない時代のため、熊楠の元にノートが届いたのは約半年後のこと。
日記をしたためる習慣のあった熊楠は、記憶を頼りに、そのノートに一日も欠けることなく半年分の行動や思索の記録をつけたといいます。

一日前の記憶すら危うい私には考えられない、さすがの所業です。
私は日記をつけてはやめを繰り返しており、たまにはnoteに書いてみるのもいいのでは、と思い立ったので、物は試しで、まずは一日の記録をつけてみたいと思います。


◇◇◇◇◇


5月最初の祝日

精神科医の友人と朝10時に待ち合わせ。
大阪府南河内の《近つ飛鳥博物館》までドライブ。
途中の山道には藤の花が咲き乱れていて、この季節に来てよかったと見惚れる。

◇◇◇



昼前
に博物館に到着。

建物のあまりの立派さに絶句。
巨大な階段がピラミッドさながら屋上まで続き、玄関までは上空から降り注ぐ光の中、切り立った崖のような狭い通路を奥へ進んで行く。

館内の吹き抜けや空中回廊の構造など、どの角度からも、あらゆる場所が絵になるよう計算され尽くしている。
この建物の設計者は誰だろうと話していると、資料で安藤忠雄の作だと知り納得。

ホワイエ奥の図書室で参考資料に目を通してから展示室へ。

近隣の遺跡から発掘された、主に古墳時代の展示品の数々。武器や防具、装飾品、祭事の儀礼品、食器、動物の骨など、よくぞ残っていてくれたと思わせるものばかり。
さまざまな古墳と周辺部落を再現した巨大ジオラマに見入りつつ、ここには現代よりよほど豊かな生活があるねと話し合う。


◇◇◇


博物館を出て、奈良県葛城市の洋食店で遅めのお昼。ピーク時間をとうに過ぎているため、待ち時間もなく、食後もゆったり。

◇◇◇


そこから飛鳥地域に入り、真言宗のお寺へ向かう。
友人が長年通っている古刹で、先代はもちろん、現当主のご住職一家とも親しい。

門前で小学生の息子さんが出迎えてくれ、一緒に応接室へ。
奥さまと和尚さまもすぐに見える。私はお会いするのは三度目ながら、お二人のお人柄もあり、もうすっかり心安い感じ。

近くの山で採れたヨモギを使ったお餅やお茶菓子、息子さんが焼いてくれたケーキなど次々におもてなしを受けながら、時間を忘れて話し込む。

最も印象に残った話題は“法力”について。

真言宗は拝み込む宗派のため、法力の存在は当然とされるものの、他の宗派ではそうではないらしい。
特に、とある有名な浄土真宗の僧侶は、明らかに法力を感じさせるほどの人ながら、本人は決してそれを肯定しないという。

浄土真宗の方が認めなくとも、底の部分に真言宗のエッセンスがあるのは確実であり、法然さんも法力の使い手だったに違いない、と和尚さまは断言なさる。
私のごとき門外漢にはよくわからない話ながら、聞いていてとても興味深い。

それから、“近ごろはお寺を訪れる人たちから、心の悩みに関する相談を持ちかけられることが増えた”という話に。

だからこそ、心理学の知識を身に付けたいとおっしゃる和尚さまに、友人は、自分は逆に心理学の限界を感じているのだと話す。

心理学は人を“救う”ことはできない、そのように作られてはいないから。学問としてもまだ歴史が浅く未熟で、大乗仏教が培ってきたような衆生を救うわざがない。
人が人を“救える”と考えること自体が、本来とても危険なことなのだ、とも。

これは友人と私が常々考えている、宗教、あるいは芸術や自然の方が、心理学よりも人を変え、救いにつながるり得るという話だ。
すんなりとは解決できない問題のため、それこそ人生をかけて取り組むべきことでもある。

そして、和尚さまも深く悩むことがおありなのだ、とやや不謹慎ながら、ひそかに親近感をおぼえる。

こんな真剣な話ばかりでなく、もっと気軽な雑談も。

苦楽園の同じケーキ屋さんがごひいきだとわかったり、お寺のネコの話、息子さんの歯列矯正で猫背まで治ったと不思議がっておられるのを、私が解剖学的に説明したり。

他にも私は妙な話ばかりをした気がする。
奈良県の奥地の秘湯や、高野山の帰りに謎の豪邸に寄り道し危機を免れたこと、李香蘭の歌声と服部良一メロディーの相性の良さ、百田尚樹永遠の0』と実在の零戦パイロットの戦記についてなど。

和尚さまは感心しつつ唖然としたご様子で、奥さまは私の前世について思いを巡らせてくださり、友人は自分もこの人がいまだに解せないのだ、と大笑いしていた。

そうこうしているうちに、息子さんがしきりに時間を気にし始める。それも当然で、もう午後7時近い。

どこかで食事を、その前に一緒にお勤めをしませんか、とありがたいお誘いを受け、揃って観音堂へ。

息子さんが「ここを秘密基地にして住みたい」と言う小さくも立派なお堂で、お護摩を焚かれるがゆえ、壁や天井がところどころ黒く煤けているのがまた趣きがあり美しい。

般若心経に続き、いくつかのご真言を唱える和尚さまは、話している時とはまるで違う印象。極度に研ぎ澄まされた集中力を感じさせ、少し怖いくらい。
帰り道に友人も、あの人の一点への集中具合は心配なほどだ、と医師の顔で言ったほど。


◇◇◇


ご祈祷を済ませ、いよいよ食事に。
息子さんが待ちきれない様子なのがかわいらしい。

案内されたのはいかにもお洒落な洋風の一軒家で、近所でも評判のピッツェリアだという。
てっきり和風のお店かと思っていたので驚いたし、大きなピザ窯もある本格的なピッツェリアで、作務衣を着た和尚さまと同席するのはなんだか不思議な感じ。

食べながら宗教と食事の話になり、全員が存じ上げている、ある大阿闍梨さまのお名前が上がる。

この方は十回を超える長期の断食を経験なさり、その際、最も辛いことは“水を飲むこと”だとおっしゃっていたという。

二週間を超える断食中も、水分だけは摂取する。
けれど、日が経つごとに敏感になる神経には、その水が耐え難いほど生臭く感じられるのだとか。
それでも、無理にでも飲まねばならないことが、食べられないよりよほど辛いらしい。
そう聞いても、私には想像もできないことで、うなずくしかないけれど。

それから、大阿闍梨さまの人間離れした法力のエピソード、それを果たしてユング心理学で解釈しうるか、といった話などで盛り上がりつつ美味しく食事を終える。


◇◇◇


お店の前でご住職一家と別れの挨拶。

長居してもご迷惑だし、夕方にはおいとましよう、と話していたのに、気づけばとうに6時間は経過している。
夢のような時間だったね、なんだかあぶない話ばかりだったけど、と帰りの車中で友人と笑い合う。

夜になって道が空いたこともあり、行きよりもはるかに早く友人宅に到着。

私は家までもう少し一人で運転。

グレン・グールドの演奏する『ゴルトベルク変奏曲』がスピーカーから流れてくる。たぶん1955年録音バージョン。
これで眠るのは無理だよね、帰ったら私は無音でゆっくり寝もう、などと考える。

めったにないような楽しい一日だった。

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