4月の詩
「4月、天使の月」
詩人で園芸家のヴィタ・サックヴィルヴェストはこう言います。
たしかに、陽は穏やかで明るく、風は心地よく、花々がところ構わず咲き乱れている様子には、まるで天国にいるかのような錯覚を覚えます。
それがパリのような街ならば、さらにその感慨も増すのでしょうか。
パリの春を歌ったジャズ・ナンバー『April In Paris』は、そんな陶酔を擬似的に与えてくれます。
作曲は『ニューヨークの秋』でも有名なヴァーノン・デューク、作詞は『虹の彼方に』で知られるエドガー・イップ・ハーバーグの名コンビです。
1932年のミュージカルでお披露目されて以来、この曲は偉大な歌手たちに歌い継がれるスタンダード・ナンバーとなりました。
ビッグバンドの大御所カウント・ベイシー・オーケストラの演奏や、サラ・ヴォーン、あるいはエラ・フィッツジェラルドによるヴォーカルが、ことによく知られているでしょうか。
その歌詞はあくまで素朴で、春の浮き立つ心と軽い惑いを表現しています。
できれば音楽も聴いていただきたいところですが、ここでは一編の詩そのもののような歌詞を、私のつたない訳でどうぞ。
◇◇◇◇◇
Apri In Paris
パリの4月
マロニエの花が咲き
歩道にはテーブルが並べられる
パリの4月
この感覚は何にも代えられない
思いもかけない春の魔力
ずっと知らないふりをして
やさしい腕も夢見ずに
心は歌いもしなかったのに
パリの4月
すべてはあなたのせい
私は誰の元へ飛び込めばいい?
私の心にいったい何をしたの?
◇◇◇◇◇
そして、この曲をご紹介したからには、T・S・エリオットに触れない訳にはいきません。
もしこの組み合わせにぴんときた方がいらっしゃれば、同じ“村上主義者”として堅い握手を交わしたいと思います。
1988年に出版された『ダンス・ダンス・ダンス』のなかで、村上春樹さんはこう書いています。
「夜には一人で本を読み、酒を飲んだ。毎日が同じような繰り返しだった。そうこうするうちにエリオットの詩とカウント・ベイシーの演奏で有名な四月がやってきた」
エリオットは、アメリカに生まれながら、後に英国に帰化。20世紀最高の詩人の一人と言われ、ノーベル文学賞の受賞者でもあります。
彼の詩集【荒地】に収録された『死者の埋葬』の冒頭はとりわけ有名で、このフレーズだけを聞いたことのある方もおられるかもしれません。
◇◇◇◇◇
4月は最も残酷な月
ライラックの花を死んだ土地からよみがえらせ
記憶と欲望をない混ぜにし
しおれた草を春の雨で奮い立たせる
◇◇◇◇◇
西洋の神話的物語『トリスタンとイゾルデ』と、ダンテの『神曲』からのイマージュに満ちたこの作品は、こうして幕を開け、美しく難解な世界へと私たちを誘います。
こちらは『Apri In Paris』の可憐さに比べると、出始めから何やら不穏な空気に満ちていますが、やはり素晴らしい詩であるため、春の物憂い午後にページを繰ってみるのもいいかもしれません。
そして、春といえば、で思い出すのが谷川俊太郎さんの、この短い詩です。
透き通ったやわらかな空気を感じさせるこの詩こそが、パリや英国の春を讃えるどの詩より、この国の春にふさわしいのかもしれません。
◇◇◇◇◇
はる
はなをこえて
しろいくもが
くもをこえて
ふかいそらが
はなをこえ
くもをこえ
そらをこえ
わたしはいつまでものぼってゆける
はるのひととき
わたしはかみさまと
しずかなはなしをした
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